連載第9回 タチの一番弟子(ピエール・エテックス ④永別篇)ジャック・タチを語るうえで「伯父さん」「お洒落」「キュート」といったキーワードは外せません。タチの没後、1980年代から90年代にかけて、本国フランスではなかば忘れられていたタチの映画が日本で声望を保ち得たのは、これらイメージの押し出しが効を奏したからでしょう。先人たちの戦略と努力には衷心からの敬意を表します。ただ…
~ピエール・エテックス~(Pierre Étaix/1928-)
ただ、作品全体をよく眺めてみると分かるのですが、タチの映画には「伯父さん、お洒落、キュート」なパーツは確かに点在していますが遍在しているわけではありません。
これは余談ながら、意外なことに「お洒落」という形容詞はフランス語のタチ文献を読んでいてもほとんど目にした記憶がない(日本人にそう見えるところはフランス人にはむしろ「保守的」と映る、というフシがあります)。ただし、かくいう筆者もこれら(↓)については無条件に「伯父さん、お洒落、キュート」であると同意します。


*エテックスによるポスター(下の『休暇』は1961年再公開時の新規ポスター)
つまり「お洒落でキュート」という形容は、タチの作品そのものというより、むしろピエール・エテックスのポスターにこそ相応しいと思われるのです(為念:タチの作品はもっと広くて豊かだ、という意味です)。ポスター作家エテックスが、富嶽三十六景を思わせる大胆かつシンプルな構図で拡大してみせたジャック・タチのポップな側面は、北斎の国の民には親しみをもって受け入れられたし、フランス人にもエキゾチックでお洒落なものと見えたかも知れません。
『プレイタイム』公開時のフランスでは、この作品がつまらないのはエテックスというギャグ作家をタチが失ったからだという評が一部で囁かれていたそうです。この見解を筆者は全く支持しませんが、そう言いたくなる気分は分かります。
『ぼくの伯父さん』でエテックスが単に「助監督」とクレジットされたことには、実は世俗的な理由がありました。映画人職業資格証を有していなかったエテックスは映画技術者組合の規約により「脚本」というクレジットは不可、かといってタチとしては駆け出しの若者を「芸術的協力者」としてジャック・ラグランジュと同列に遇するわけにもいかなかったのでしょう。
しかし『ぼくの伯父さん』という作品とエテックスは、シナリオからポスターまで骨がらみの関係にあり、貢献度でいえば間違いなくナンバーワン、しかもジャック・タチのスタイリッシュなイメージを世界に定着させたのはエテックスのポスターの威光によるところ大です。
それまでのルネ・ペロンによる
『のんき大将』や
『休暇』のポスターに比べ、エテックスの図案は段違いにモダーンで抽象度が高く、ラグランジュによる
『パラード』のポスターは別としても、後年の
『プレイタイム』や
『トラフィック』のポスター(いずれも名手ルネ・フェラッチ作)はエテックスのテイストを踏襲したものです。

*映画『ヨーヨー』より
さて、エテックスが映画作家としてデビューしてからというもの、タチは弟子を警戒しはじめました。いっぽう1965年に長編『ヨーヨー』を公開した際にはあまりの批評家受けの悪さにエテックスはタチが陰で糸を引いているのではないかと被害妄想に陥ったそうです。
『プレイタイム』製作中のタチにそんな暇などあるわけがありませんが、タチがエテックスに励ましも助けも与えなかったのは事実のようです。こうなると「他人以上の他人」の関係めいていますが、かたやタチのほうも『プレイタイム』では手痛い酷評をこうむったわけですから皮肉なものです。
このような2人のあいだで最後の会話が交わされたのは1981年5月、タチ命名による映画館《リヴォリ》の新装オープン式の席上でした。こけら落としに
『のんき大将』の上映をという提案を固辞したタチは、セレモニーへの出席自体も迷いはじめた。これはひとつには病状(癌)が進んでいたため、いまひとつには代わりに選ばれた作品が『ヨーヨー』だった(よってエテックスも出席するはずだ)からでしょうが、結局タチはやって来ました。
『ヨーヨー』の上映が終わり、タチはエテックスを避けるように他の客人たちと会話を交わしていましたが、エテックスがその場を去ろうとした瞬間、声をかけてきました。
「エテックスさん、ちょっと待ってください! さっきの映画は見逃していたのですが……悪くなかったですよ」
「それはどうも」
「悪くなかった……けど、あなたは難しいことにばかり惹かれるような気がしますね」
「……?」
「以前にも同じような……でも『ヨーヨー』は悪くなかった」
ここでエテックスは黙します。ある記憶がよみがえってきたからです。
それは『ぼくの伯父さん』で、ユロが30秒と経たぬうちに会社を馘首になるというシナリオを考えていたときのことでした。
あらゆるアイディアが様々な理由で却下されたエテックスは業を煮やし、ついにはタチに噛みつきます。あなたが満足するシーンなど書けるわけがない、なぜなら……と、ロジカルに、かつ滔々とまくしたてたのです。これに対しタチは静かに「エテックスさん、あなたは考えすぎなのです……私が解決してみましょう」と言い、かくしてあの冤罪面接シーンが生まれた。エテックスは浅慮を恥じ、師の戒めを肝に銘じました。
脱臼していた2人の関係は、この会話でふっと元のサヤに収まったのでしょう。つまり互いに、相手が師であり弟子であるという当たり前の事実を、いまさらながら思い出し、受け入れた……
「ではまた、エテックスさん」とタチが告げると、わだかまりの氷解した握手を交わし、師弟は別れました。ジャック・タチが亡くなる前年のことでした。
(佐々木秀一/執筆)
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