*フランク・バルセリーニ(珍しいフォト!)連載第10回 奇跡の代打(フランク・バルセリーニ)前回、ジャック・タチの商業的イメージを定着させた功労者は
ピエール・エテックスだと指摘しましたが、話をヴィジュアルから音楽に置き換えるなら、第一の貢献者はまず間違いなくフランク・バルセリーニということになるでしょう。
彼の作曲した
『ぼくの伯父さん』のテーマ曲は単に特定の映画のBGMという枠を超えて、ある種の雰囲気を醸成するのに必須な効果音楽となった趣きすらあります。
昭和33年の公開当時、はや日本では中島潤、高英男、木村正昭がカバーした……というのは知ってましたが、最近、のみならずあの「沢たまき」さんまでカバーシングルを発売していた事実を知り、びっくりしました。
ただエテックスとバルセリーニのキャリアを比較すると様相がだいぶ異なり、今回はそのあたりの事情から「タチ学」を深めてみましょう。
~フランク・バルセリーニ~(Franck Barcellini/1920-2012)
リヨンに生まれたバルセリーニが亡くなったのはごく近年で、幾つかの追悼記事がフランスのサイトに載り、どうにも調べがつかなかったプロフィールが少しは分かってきました。それら記事や追加リサーチによりバルセリーニのキャリアをまとめてみると――
①『ぼくの伯父さん』以外で音楽を全面的に担当した映画は3本(コメディやエロチックムービー)。いずれも『伯父さん』の後。また舞台音楽にも幾らかタッチした模様。
②ミッシェル・トールやジョルジェット・ルメールといった中堅シャンソン歌手に楽曲を提供。ただしヒット曲の記載はなし。
追悼記事のタイトルはいずれも《『ぼくの伯父さん』の作曲者死す》といった調子で、purepeople.comは "méconnu, mais connu"(メコニュ、メ、コニュ)などという駄洒落のような形容でバルセリーニを説明しています。つまり「よく知られた曲を作った知られざる作曲家」というわけです。
ありていに言って『ぼくの伯父さん』以外はパッとした実績のない、いわば「一発屋」と言いたいのでしょうが、こういう人物とタチにどういう経緯で接触が生じたかを探っていくうちに、面白い事実が浮かび上がってきました。
*フォンタナ・シネモンド版OST(ボリス・ヴィアンがプロデュース)実は当初『ぼくの伯父さん』の音楽を担当するはずだったのはノルベール・グランズベール(1910-2001)、「パダン・パダン」や「グラン・ブルヴァール」等のスタンダードナンバーを手がけたシャンソン界では有名な作曲家です。すでに戦前から映画音楽にも手を染めていたのでキャリアからいえばバルセリーニとは格が違います。
グランズベールは撮影中ラッシュを見てテーマ曲の原型を書き、それを奏したところジャック・タチも気に入り、その曲を口ずさみながら撮影を続けたという局面までは良かったのですが、あるきっかけから両者は訣別に至ります。
どうやらその曲は、フランソワーズ・アルヌール主演の映画『肉体の怒り』(1954年/音楽はグランズベール)ですでに使用された形跡があると発覚したからです。事実調査に派遣されたのは(例によって)エテックスでしたが、実際に映画を見てみると、似たような数小節が縁日のシーンのざわめきに紛れてかすかに聞こえてきたそうです。
試作めいたスコアのコマ切れ使用だったのでしょうが、オレの映画に二番煎じの曲とは何ごとかとばかりにタチは激怒し、作曲家はクビになります。
この事件の余波は2つの方向へと及びます。
*中島潤版カバーシングル(細野晴臣さんが初めて買ってもらったことで有名なレコード)まず、ショックから立ち直った作曲家は、ただでは起き上がりませんでした。
『肉体の怒り』から『ぼくの伯父さん』へと練ってきた旋律を完成させ、『伯父さん』公開と同じ1958年に発表して大ヒット、これが有名な「私の回転木馬」(歌はエディット・ピアフ)だったのです。
もしかしたらあの曲が『ぼくの伯父さん』のテーマソングになっていたかも知れないと考えると、微妙な気持ちになります。
いまひとつは後任の音楽担当者問題で、スタッフはグランズベールの後釜として某人物を引っぱってきたものの、タチは音楽面とは関係ないある点でこの男がお歯に合わず、またしても解雇。ここで抜擢されたのがバルセリーニだったという経緯のようです。
つまりバルセリーニは代打のさらに代打で、しかも前作で実績のあるアラン・ロマンと抱き合わせでの起用ですから「補助輪」付きみたいなものです。これで当時のバルセリーニの業界的立場は容易に想像がつきますね。
*2015年秋現在、新品が入手可能な日本版CD
2014年の
ジャック・タチ映画祭はタチの全作品を一気に鑑賞できたがゆえに、個人的には様々な発見がありました。うち音楽面では、前半の3作(
のんき大将、
休暇、伯父さん)のテーマ曲が極めてキャッチーであるのに対し、後半の3作(
プレイタイム、
トラフィック、
パラード)の劇伴は一曲単位の目立ち方は若干見劣りするものの、総体的な曲のレベルは先行作のよりはるかに高度だという印象を受けました。
アラン・ロマンやバルセリーニには申し訳ないのですが、フランシス・ルマルクやシャルル・デュモンはさすがにシャンソン界の大御所だけあって……という感想を抱いたわけですが、こんなふうに考えはじめた自分がだんだん後ろめたくなってきたのも事実です。
大御所だとか、キャリアだとか、粒ぞろいとか、何だかどこぞの音楽評論家みたいな物言いは、タチフィルにはあるまじき小ざかしさと感じたのです。問題はその曲がどれほど熱く記憶に残るかではないか、つまりは「愛」じゃないか、と。
代打の代打が放った一発は、フェンスを超えスタジアムを超え、国境を超える美しい大ホームランとなりました。なぜならジャック・タチその人のテーマソングを一曲選べといわれたら、おそらく9割方のファンはバルセリーニによる『ぼくの伯父さん』のテーマソングを選ぶはずだからです。
(佐々木秀一/執筆)
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