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速報!「ジャック・タチ コンプリートBOX」をレビューする2

コンプリートBOX

連載第2回 複数のヴァージョン

すべては『のんき大将 脱線の巻』(1949年仏公開)に始まります。

ジャック・タチは1947年にこの映画の撮影に入ります。製作はフレッド・オラン(『天井桟敷の人々』の大プロデューサー)。二人にはこの作品をフランスで初のカラー映画にする、という野心がありました。

オランは他国のカラー技術(例えばドイツのアグファカラー)をそのまま利用するのではなく、自国独自の技術を用いるという点にもこだわり、技術開発中の「トムソン社」と提携を結びます。大戦直後のナショナリズム高揚のあらわれでしょう。トムソン社側は資材と技術者を無償提供するという条件も、二人には魅力的でした。しかし結果は無残なものとなり、トムソン社は現像すら不能のままいわば「夜逃げ」をしてしまいます。

バックアップ用にカラー撮影機と並べて回していたモノクロ撮影機のフィルムがあったため、かろうじてジャック・タチの処女長篇は体を成しましたが、この挫折はタチのその後の人生に重大な影を落とすこととなります。カラー映画一番乗りという名誉を逃したことより、自分の思い描いていた『のんき大将』の色彩設計が土台から無効と化してしまったことが、第一に映画芸術家タチ最大の痛恨でした。

第2作『ぼくの伯父さんの休暇』(1953年仏公開)でプロデューサーをつとめたのもフレッド・オランでしたが、この作品の成功の余勢を駆ってタチはオランと袂を分かちます。『のんき大将』カラー版の現像失敗がタチの心にオランへの不信を芽生えさせたことが大きな原因でした。

ぼくの伯父さん:カード


1 自作に手を入れたがる映画作家

自分の製作会社スペクタ・フィルムを設立したタチは、第3作『ぼくの伯父さん』(1958年仏公開)を世界的規模でヒットさせます。この映画のアメリカ公開のためにタチはひそかに《英語版》も準備していた――これがタチ映画の「別ヴァージョン」第1号です。

『ぼくの伯父さん』(英語版/1958年米公開)

このヴァージョンは特定の人物が英語を話し、一部の標識も英語、シーンの細部もオリジナル版とは異なるという明白な「別撮り」版です。ニューヨークのロードショーでは二つの劇場でこれと「字幕版」とが競合して上映されました。しかしタチの思惑は空振りに終わり、市場からも人々の記憶からも「別撮り」版は徐々に消えてゆきます。

この『ぼくの伯父さん』はスペクタ・フィルム社に莫大な収益と安定をもたらします。もともと他人から指図を受けるのが人一倍嫌いなタチは、自己の裁量で使える資金、言い換えるなら芸術家としての自主独立をこれにより獲得しました。『ぼくの伯父さん』から『プレイタイム』着手までの時期、ジャック・タチは方向性が定まらなかった事情も手伝って、様々な活動に手を出します。一例を挙げれば『イリュージョニスト』のロケハンなどですが、それら活動の中には以下の二つの別ヴァージョン製作もありました。

『ぼくの伯父さんの休暇』(第2ヴァージョン/1962年仏公開)
『のんき大将』(第2ヴァージョン/部分着色版/1964年仏公開)

ジャック・タチは1959年9月に『のんき大将 脱線の巻』と『ぼくの伯父さんの休暇』を映画市場からきっぱりと引き上げてしまいます。1961年には『のんき大将 脱線の巻』のロケ地サント=セヴェールを再訪し、追加シーンを撮影。加えてサウンドトラックを全面改訂し、ステンシルにより部分着色まで施して、改めて公開したのが『のんき大将』(部分着色版)です。

いっぽう『休暇』の改訂はサウンドトラックの総入替が主で、映像面では幾つかのシーンをカットし一部のショットの順番を変えました。

以降、刷新された二作品は旧来版とは別個とみなされ、マーケットでは正規作品として扱われるようになります。『のんき大将』(部分着色版)は映画がビデオでも見られるようになった時代を通じ標準作であり続けました。

以上の流れから見て、これらの改訂は芸術家としての欲求が現世的要請と結びついて実行されたものと思われます。つまりタチは『のんき大将』のカラー化失敗に一矢報いたかったし、フレッド・オランと中途半端に共有する形だった先行作の権利を一手に収めたかった(守銭奴というより、自作を興行面でもコントロールしたかった)のでしょう。

また『休暇』から『ぼくの伯父さん』を経ていたタチのフィルム編集感覚は余人の想像も及ばぬ境地に達しており、そのタチにしてみれば未熟な初期作に不満が募るのも当然です。さらにはこの時代の映画産業における映像や音響の技術進化も見逃せません。

言ってみればいかなる意味でもこれらの改訂はタチの意に沿ったものでしたが、これと正反対のケースとなってしまったのが次作です。

『プレイタイム』(153分版/1967年仏公開)
『プレイタイム』(135分版/1968年2月~)
『プレイタイム』(119分版/1979年仏公開)

映画『プレイタイム』は1967年12月に公開されましたが、興行的成功には程遠い状況でした。批評家たちの「長すぎる」という批判に屈し、タチはロードショー開始早々に時間短縮を決意、劇場での観客の反応を確認しながらテストフィルムにハサミを入れてみるという試行錯誤を経て、結局ロードショー期間中の2月には作品は15分以上カットされていました。

その後、この作品の興行的失敗が原因となってのスペクタ・フィルム社の倒産をはさんで、『プレイタイム』は1979年にリバイバル上映されます。この際タチは、映画館主たちの「長すぎるから1日の上映回数が1回減る」という圧力に再度屈し、この普通ではない映画を普通の映画の長さまで再カットしてしまいます。ビデオの時代が終わるまで標準作とされていたのは、この119分版でした。

ぼくの伯父さんの休暇:カード

『ぼくの伯父さんの休暇』(第3ヴァージョン/1978年~)

この改訂はマイナーチェンジで、ユロの漕いでいるカヤックが真二つに折れた直後のシーンが追加されただけです。……カヤックは映画『ジョーズ』の鮫みたいな形状に変化し、折れた舟中でユロがもがくたびに「鮫」の口がぱくぱくする。それを発見した海水浴客たちは大パニックに陥る……。

タチは1978年にロケ地を再訪し、このベタなギャグ場面をわざわざ追加撮影しました。事情を知らないで見ると『ジョーズ』を先取りしたシークエンスに見えますが、同作のフランス公開は1976年1月なので事実は逆。『休暇』は1977年にリバイバル上映されていますが、それに合わせたわけでもないし、スピルバーグへのオマージュならぬウインクをタチがなぜ挿入したのかは不明です。

タチは1976年に英国BBCのインタビューのため撮影以来久方ぶりに『休暇』のロケ地サン=マルク=シュル=メールを訪れましたが、このとき海岸を媒介に公開直後の『ジョーズ』と自分の『休暇』が脳裡で結びついたとの説もあります。なるほど形状類似物の観念連合(カヤック→鮫)がタチ独得の方法論であるのは確か。

いずれにせよこれはタチ自身の手による最後の改訂となり、必然的にこのヴァージョンが『休暇』の標準作とみなされるようになります。

のんき大将・カード


2 「ジャック・タチ」という名のムーブメント

ジャック・タチは1982年に逝去、普通ならここで改訂の動きはストップするはずなのですが、そうはならないのがタチっぽいところです。個体としてのジャック・タチは消滅したものの、現象あるいは運動体としての「ジャック・タチ」は活動をそのまま継続中、という図に見えます。このムーブメントは主に親族縁者が中心となって推し進めたものですが、血縁とは無縁な協力者も数多く存在します。没後初期の活動はタチの実娘ソフィー・タチシェフと、タチフィル技術者フランソワ・エドゥによって支えられました。

『新のんき大将』(第3ヴァージョン/カラー版/1995年仏公開)

ジャック・タチは後年まで『のんき大将』カラー化失敗を悔しがり、現像所へ足を運んでは新しい技術で何とか色が出せないものかと手立てを模索していました。しかし『プレイタイム』の破滅的挫折を経ての晩年は、さすがにタチも心身が衰え撮影フィルムを破棄しようとさえしたそうです。

ゴミ箱行きから素材を救ったのは娘のソフィーで、彼女は父の死後も諦めることなくチャンスを待ち続け、1987年に技師フランソワ・エドゥと接触が生じたことから事態は徐々に好転しはじめました。ここから7年間の道のりはエドゥ自身が著作にまとめたほどの苦闘でしたが、およそ半世紀かかってようやく『のんき大将』の色彩が再現されるという大成果が得られました。このカラー版はDVDが普及しはじめたころから『のんき大将』の標準作とみなされるようになります。

カラー版の編集という大役にもあたったソフィー・タチシェフは、のちに長篇映画の監督もつとめますが、実父のフィルム編集見習いをふりだしに映画界でのキャリアは主に編集畑で積んでいます。ソフィーは後年2000年には発掘作『フォルツァ・バスティア』も編集。同じ年に『のんき大将』の映像使用許可を求めてきたシルヴァン・ショメに『イリュージョニスト』遺稿の存在を教え、アニメ化を勧めたのも彼女です。残念ながらソフィーは2001年に早世しますが、彼女の死からおよそ十年後に『イリュージョニスト』は公開されることとなります。

プレイタイム:カード

『プレイタイム』(124分版/新世紀修復版/2002年仏公開)

ソフィーは晩年ガンに倒れ長らく闘病の床についていましたが、息をひきとるまで『プレイタイム』の行く末を案じていたと伝えられます。

この志を継いだのは前出フランソワ・エドゥで、その使命は『プレイタイム』(135分版)を忠実に、しかも70ミリ上映も可能なように修復すること。補足しておくなら、完全版をモデルにしなかったのは、上映期間が極めて短かったせいもあり全貌(153分)を示すプリントが見つかっていないためです。エドゥによれば、(35ミリのほうはともかくとしても)保管されっぱなしで良かったはずの70ミリネガまで1979年公開版にあわせてカットされていたとのこと。

2002年(タチ没後20年)という公開期日もあり全ての素材が見つかったわけではなかったものの、それでもシーンは5分追加されました。たったの5分で場面の綾がぐっと引き立つこと、それまで見慣れていたビデオ(アメリカ版)とあまりに映像品質が違うことに驚愕した記憶が懐かしい。もちろん、このヴァージョンは公開以来この作品の標準作とされています。

* * * * *

2014年現在までのタチ作品のヴァージョン変遷史は以上です。

21世紀に入ってからの技術革新のスピードには驚嘆すべきものがあり、劇場での映画上映の主流もフィルムからデジタル(DCP/Ki Pro)へと、またたく間に移行してしまいました。
ジャック・タチ作品のアーカイブについても、2003年以降はヴァージョン改訂よりデジタル・リマスター化の動きのほうが目立つようになります。そのなかで本稿に関わりの深そうな動向だけを最後に挙げておきます――

2005年、長らく忘れ去られていた『ぼくの伯父さん』(英語版)がフランスにて発掘公開(劇場/DVD)。
2009年、『ぼくの伯父さんの休暇』1978年ヴァージョンのデジタル・リマスター版がフランスで公開されるが、これのDVDリリース時に1953年ヴァージョンも発掘併録。
2013年、『のんき大将 脱線の巻』(1949年オリジナル白黒版)がフランスにて発掘公開(劇場/翌年DVD)。

☆商品情報
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [Blu-ray]
 日本コロムビア / COXM-1094~1100
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [DVD]
 日本コロムビア / COBM-6696~6702
*Blu-rayとDVDでは内容・価格が異なりますのでご注意ください。
 なお本稿では、あくまで[日本版Blu-ray]のほうを扱っています。

(佐々木秀一/執筆)



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Author:タチヨン
日本ではたぶん唯一のファンサイト「ジャック・タチの世界」を運営しています。フィルモグラフィetc.は、そちらをご覧ください。
タチの人生を詳細に描き出した評伝「TATI―“ぼくの伯父さん”ジャック・タチの真実」もヨロシクお願いします。タチ関連の情報があれば、ゼヒお知らせくださいませ。

連絡先:tati@officesasaki.net

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