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速報!「ジャック・タチ コンプリートBOX」をレビューする5

伯父さん:ジャケット

連載第5回 ぼくの伯父さん(DISK 3)

《フィルム・ド・モノンクル》は2001年に、ソフィー・タチシェフとジェローム・デシャン(演出家/俳優)&マーシャ・マケイエフ(演出家/舞台美術)夫妻により設立されたジャック・タチ作品のアーカイヴ機関です。デシャンはタチ夫人ミシュリーヌの遠縁で、同年のソフィー没によりタチの身内(妻、娘、息子)が全員消滅してしまったことから、以降マケイエフと共にタチ作品の管理に当たっています。

このコンビは2002年にフランス映画祭のため来日し、『ぼくの伯父さん』特別上映にあたってデシャンが舞台挨拶をしたのですが、その際にかれが「この映画はタチのなかでも最も優しい作品です」とコメントしたことが妙に印象に残っていました。タチの映画はみんな「優しい」のだから、改めてそんなつまらないことを指摘しなくても良さそうなもんだが、とむしろ不可解に思ったからです。

しかし今回(2014年)の映画祭でタチの作品を並列的に観ることができ、痛感しました。いやあ、ほんとうに飛びぬけて「優しい」映画だったのですね、この作品は。

伯父さん:スチール


1 謎の英語版

このDISKには本作のオリジナル仏語版と英語版が収録されています。誤解のないよう急いで説明すれば、英語版は単なるアフレコ吹替え版なのではなく、オリジナルとは別撮影、別編集のパートを含むヴァージョンになっています。ただしこれまでの作品と違い、撮影は並行でおこなわれたはずですし、編集のタイムラグもほとんどないはずです。

読唇が可能な近接ショットで確認すると、英語版では演者が実際に英語で演技しているのが分かります。したがって英仏並べて再生してみると、同一場面でも明らかに演技が違うショットがある(ワンちゃんの位置も違う!)。工事現場の看板で示される冒頭のクレジットタイトルを手始めに、「学校(School)」という看板とか「出口(way out)」という標識なども英語に改められています。

ということは初めから意識して別テイクを撮影した事実を示していますが、仏英で共通なショットも多数ありますし、全体をとおして台詞は英仏ちゃんぽんです(明らかに英語に吹替えただけのシーンもあり)。ショットの異同が多いのは、アルペル家の団欒や仲たがい、ガーデンパーティの場面等。

奇っ怪です。なぜタチはこんな面倒くさいヴァリエーションを作ったのか。完全に英語で統一するのは手間がかかりすぎるので英仏混合にしたというなら、それはそれで理解できますが、ならばその言語的線引きの根拠は何なのでしょう。

『ぼくの伯父さん』は上層階級と庶民階級という二つの社会を描いた作品です。アルペル邸やプラスタック社のような文明の先端をいく世界と、少し汚いけど温かみのある下町。双方を往復し二者をつないでいるのは主に犬たちと、ユロとジェラール少年です。

他にも二つのテリトリーをまたぐ人物は何人か存在しますが、そのなかの一人に小太りの八百屋がいます。本拠地は下町なのですが、ガーデンパーティの前にアルペル邸に納品するシーンがあり、この場面を眺めているときに不思議なことに気づきました。応対しているアルペル氏は英語、八百屋はフランス語を喋っていて、それで会話が成立しているのです。これが最大のヒントとなって謎は解けました。

英語版で英語を喋っているのはアルペル氏側の人間。つまりアルペル夫妻、アルペル邸の訪問客、プラスタック社の関係者などです。逆に下町側の人間は皆フランス語です。ユロは下町では仏語、アルペル邸では英語と、二つの言語を使い分けています。

ショット違いが多いのは英語話者が会話をかわす場面であるのも、これなら頷けます。しかしタチは、なぜこんな不自然で中途半端な《英語混入版》をアメリカで公開しようとしたのか。そもそもユロという「語らざる」ヒーローを創造したのは、言葉に頼らぬとも世界中に通じる無声喜劇を高らかに打ち出したかったからではないのか。

ブックレットに、これと関連する驚くべき指摘がありました。

「これら2つのヴァージョンは同時に撮影されたもので、タチはフランス版を犠牲にして、アメリカ版のほうに両ヴァージョン共通のオリジナルネガを入れ込んでいた。フランス版にはインターネガが使用されたのだ」

つまりプリントの品質という意味において、タチは本国版よりも英語版のほうを優先したわけです。

フランスならびにその映画産業にとってアメリカは、自国の4倍の市場規模を有する大国です。今日の「グローバルな」ビジネス視点からいっても、こちらを優先するのは理の当然かも知れません。しかしジャック・タチはフランス人で、しかもビジネスマンである以上に芸術家であり、かれのこの選択は自国民なら傷つくのではあるまいか……などと考えているうちに、別の解釈が浮かびました。以下は筆者の独断であることを、あらかじめお断わりしておきます。

『ぼくの伯父さん』製作時のジャック・タチはすでにヨーロッパの映画祭などで国際的名声を得ており、新作の市場としてアメリカも当然視野にはいっていた。しかるにこの映画には明らかにアメリカ、ないしは「アメリカン・ウエイ・オブ・ライフ」への強い皮肉がこめられていて(アルペル氏から夫人への結婚記念日のプレゼントは「シボレー」なのです)、フランス本国以上にアメリカで反感的議論が生じる可能性がある。

ボクシングに喩えるなら対戦相手としては米国のほうが本国よりも強敵で、勝利の名誉もそれだけ大きい。つまり「国内タイトル戦」と「世界タイトル戦」の違いですね。ならばどちらにコンディションのピークを合わせるべきかは自明の理。フィルム品質で英語版を優先したのはこれが理由なのではないでしょうか。

アメリカを大顧客ではなく強敵と捉える立場にたてば、作品に英語を導入したことの意味も違って見えてきます。英語話者の便宜を少しでもはかるためという膝を屈しての配慮ではない別の理由が。つまり観客が英語話者であるなら、映画の中でアルペル氏側の人々だけが英語を話し、あっち(庶民)側が外国語を話していたら、区別の意味はすぐ察せられるように思えるのです。

ジャック・タチは親切心からではなく、むしろ意地悪から英語を、しかもあえて半端に導入したのではないのか。アルペル氏を通じて自分たちにこそ向けられた皮肉は、笑いのオブラートに幾重にも包まれているため腹立たしいほどではないでしょう。しかしこの意図は気分の良いものではないので、アメリカですら、あるいはアメリカであるがゆえ英語版はヒットしなかった……思い浮かんだのは以上のような顛末です。

伯父さん:カード2


2 ユロのファッション

映画編集者としての技量がこの『ぼくの伯父さん』でほぼ完成に達したことは前項で触れました。この技術を武器に、これ以降3本の映画でタチは建築、ファッション、自動車などの物質文明をテーマとして自在に扱ってゆきます。こんにちジャック・タチと言われて心に浮かぶイメージ——あのポスターやこのポスターのデザインとか、耳について離れないあのテーマ音楽が生まれてくるのもこの時期からで、まさにタチは円熟期に入りつつありました。

適切にもこのDISKの特典映像には、タチ映画における「建築」と「ファッション」についての分析インタビューが収録されていますが、このなかに興味ぶかい指摘があったので若干敷衍をまじえて以下に紹介しておきます。

パリのモード・テキスタイル美術館の学芸員パメラ・ゴルバン女史の発言なのですが、彼女はこの作品のアルペル夫人の衣裳に着目し「ジェステュエル(ニューモード)という観点からいえば、アルペル夫人のファッションは完璧である」と指摘します。

この「ジェステュエル」とは第二次大戦後〜1950年代の概念で、要するに「かくなる場合にはこれこれの服、アクセサリー、帽子をきっちりとコーディネートしなければならない」という「規範」のことです。

たとえば夫人がアルペル氏にエスコートされて記念日にレストランに行くとするなら「こういう」服飾で、というような規範に沿って、夫人は夫や息子や犬の服から家具までを「非の打ち所のない」統一感でまとめるのです。彼女自身、家庭でのその時々の《役割》に応じて衣裳を変えて登場し、その全てがぴたりと嵌って美しい、とゴルバン女史は分析します。

しかしこの「規範」という考え方は、戦後社会が真に成熟するその前段階における概念で、この時代のモードはむしろ「自分自身の居場所を見失っていた」と女史は続けます。これに対しユロ氏のあの一見凡庸で保守的なファッションは、《役割》からも、当時は《役割》を支えるために必要と認められていた《見栄》からも解放されている。いわば「新しいジェステュエル」で、あの時代にこのファッションを、アルペル夫人流モードと対置させたジャック・タチには「見識があった」と彼女は断言します。

なぜならジェラール少年を窒息させるのはこの《見栄》にほかならず、人は人生に幸福を求める存在であるのだから……

あの太めのビア樽型体型なので、筆者はアルペル夫人をファッションと結びつけて考えたことがありませんでしたが、確かに彼女の衣裳はくるくる(マダム風/掃除婦風/看護師風)変わる。このゴルバン女史はもともとユロ氏の「風のような」存在感と「さらりとした」服装に好感を抱いていたらしく、目を輝かせながら以上の論旨を展開してゆきます。

『ぼくの伯父さん』における二つの世界の対立構造について、モードの歴史を糸口に、通常言われている新旧(現代性と保守性)関係を逆転させたこの指摘は、筆者にはとても新鮮でした。

タチ:サウンドトラック


3 チャップリンへのライバル意識

冒頭で、この映画がとにかく「優しい」ということを話題にしましたが、この優しさは犬や子どもたちの可愛らしさのほかに、「音楽」にも支えられているように思えます。

BGMを作曲したのは前作に続くアラン・ロマンと、フランク・バルセリーニ。最も人口に膾炙したあの「タッタ、タタタタタッタ、タタタタタッタ」というテーマ曲はバルセリーニによります。他に目立ったヒット曲はないので、この曲はバルセリーニによる一世一代の傑作といえるでしょう。

最後に笑い話として記しておきますが、これらサントラ曲の録音には逸話があって、それは自分のイメージからずれている演奏にタチが苛々して自分で指揮棒を振りだした、というものです。タチは、音楽の素養はともかく天才的なマイム感覚と抜群のテンポ感をもっていたので、それらしく演奏は収まった、というのが結論ですが、この越権行為には実は理由があって、それはチャップリンへの対抗心であるという説があります。

『ライムライト』(52年)の「テリーのテーマ」がチャップリン自身の作曲であるのは有名な話ですが、このサントラの演奏自体をチャップリンは白い手袋をはめて指揮したそうです。「テリーのテーマ」は世界的にヒットし、白手袋で指揮する喜劇の王様の姿はメディアでさんざん取り上げられた。ただし白い手袋は、当時チャップリンが皮膚病にかかっていたからで、格好をつけたわけではなかったそうです。

で、ジャック・タチは悔しがった。オレだって、と指揮台に勢いこんで飛び乗った、という言い伝えがあるそうです。

コンプリートBOXバラ

☆商品情報
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [Blu-ray]
 日本コロムビア / COXM-1094~1100
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [DVD]
 日本コロムビア / COBM-6696~6702
*Blu-rayとDVDでは内容・価格が異なりますのでご注意ください。
 なお本稿では、あくまで[日本版Blu-ray]のほうを扱っています。

(佐々木秀一/執筆)

〈追記〉
2015年2月、「ぼくの伯父さん」単品のBlu-rayDVDも発売されました。



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日本ではたぶん唯一のファンサイト「ジャック・タチの世界」を運営しています。フィルモグラフィetc.は、そちらをご覧ください。
タチの人生を詳細に描き出した評伝「TATI―“ぼくの伯父さん”ジャック・タチの真実」もヨロシクお願いします。タチ関連の情報があれば、ゼヒお知らせくださいませ。

連絡先:tati@officesasaki.net

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