連載第2回 ミスター・プレイタイム(ビリー・カーンズ)ジャック・タチ映画のキャスティングは、素人の活用とスタッフの流用ばかりに見えますが、よく調べてみると実力のある職業俳優もちらほら混じっていることが分かります。今回はそんな渋いバイプレーヤーの中から、この人。
〜ビリー・カーンズ〜(Billy Kearns/1923-1992)
『プレイタイム』の後半、舞台が《ロイヤル・ガーデン》に移った直後、まだだいぶ寒々しいこの新装レストランに「ヤッホー」と大声で登場するアメリカ人実業家。この男を演じているのがビリー・カーンズです。

*画面中央、がっしりした男がビリー・カーンズ
カーンズは1923年アメリカのシアトル生まれ。第2次大戦に従軍し初めてヨーロッパの地を踏む。1954年から米国のある独立行政法人の支局勤務のためフランスに居住。翌年からは米国文化情報局が発行するフランス人向け雑誌にスポーツや経済のコラムを寄稿しはじめるが、1958年たまたまアメリカ人俳優募集に応募したところ即座に採用。以降カーンズはフランスで150作あまりの映画に出演、また1200本ほどの吹替えにも関わった立派な「声優」でもあります。
名作系では
『冬の猿』(1962年/アンリ・ヴェルヌイユ監督)、
『審判』(1962年/オーソン・ウェルズ監督)、
『家庭』(1970年/フランソワ・トリュフォー監督)などにも顔を出しているのですが、初期の決定打であり、日本で最もインパクトが強烈だったと思われるのは、何といっても
『太陽がいっぱい』(1960年/ルネ・クレマン監督)です。

*映画『太陽がいっぱい』より。左からドロン、カーンズ、ロミー、ロネ。
この映画の冒頭、友人役としてアラン・ドロン&モーリス・ロネの前に姿を現わすのがカーンズで(ちなみに連れはカメオ出演の
ロミー・シュナイダー)、物語後半で犯罪に感づいたカーンズはドロンに布袋様の置物で撲殺されます。ドロンがカーンズの巨体を持て余しながら遺体処理に当たる場面は、本作におけるサスペンスのピークか。
この映画でのカーンズは、作中でただ一人「本物の」アメリカ人に見える点と、下層のドロンをさも見くだす傲慢さが絶品でしたが、演技経験のないカーンズが初めてのオーディションで即刻採用され、その後長らくフランス映画界で(主にアメリカ人役として)重宝されたのは、このブルドッグみたいな風貌と、鬱陶しい図体と、何よりあの強烈なヤンキー臭ゆえでしょう。

『プレイタイム』後半、場の空気はどんどんヒートアップしてゆきますが、ギアが上がる導火線となるのは必ずビリー・カーンズ(作中のシュルツ氏)です――飾り天井を壊す、特設酒場を「開業」する、仕事を止めようとしない同胞を咎める(この場面はまさしく「プレイタイム宣言」)。その意味でシュルツ氏はこの物語に降臨した酒神バッカスであり、作品のモチーフそのものと言えましょう。
アメリカニゼーションを諷刺したこの作品で、ジャック・タチ(脚本・監督)が決定的な台詞をアメリカ人役に語らせ、しかもビリー・カーンズのような役者を選んだ点には注意が必要と思えます。
(佐々木秀一/執筆)
- 関連記事
-
- http://tatiinfo.blog115.fc2.com/tb.php/93-a2920ea0
トラックバック
コメントの投稿