
*『ぼくの伯父さん』撮影現場でのエテックスとタチ
連載第7回 タチの一番弟子(ピエール・エテックス ②奮闘篇)絵の才能が決定打になって雇われることとなったピエール・エテックスでしたが、ジャック・タチはエテックスに「絵コンテ」要員を期待したわけではありません。ヒッチコックや黒澤明のように《シナリオ→絵コンテ→撮影 》という工程を採っていたわけではなく、逆にタチはシナリオを練りあげるために「絵」を必要としたのです。
タチの喜劇は奇抜なストーリーや言語ギャグとはあくまで無縁で、その作風は観察ギャグの連鎖から大きなテーマがぼんやりと浮かびあがる態のものです。この特質上、タチは市井を観察してギャグの材料を集め、そのネタを完成された寸劇に発展させ、さらにそれらを組み合わせてシナリオを固めるという手順を踏んでいました。
そしてこの過程で必要とされたのは言葉ではなくデッサンやクロッキーであり、いわばタチは言語や観念ではなくもっぱら視覚(と聴覚)で考えるタイプの作家だったわけです。
画才のないタチは
『ぼくの伯父さんの休暇』からジャック・ラグランジュという協力者を得ていたものの、ラグランジュはタチと年齢も近く、すでに画家として一家を成していました。対して若いエテックスは顎で使えるうえ、正統的な舞台美術家ラグランジュにはないギャグのセンスも持ちあわせていました。タチの方法論からいって大いに重宝したのは想像に難くありません。
~ピエール・エテックス~(Pierre Étaix/1928-)

*奮闘する若きエテックス
かくして
『ぼくの伯父さん』のシナリオ準備のため、エテックスが画帳を片手にパリをうろつく日々が始まりました。
ロケハンも兼ね、各所で目についた奇妙な事象(人物、出来事、建物etc.)をスケッチする。事務所に帰ってからはタチと意見を交換し、拾いあげたネタを一篇のギャグに昇華させてみる。アイディアを独得な着想で発展させるタチ、素早くそのイメージを描き留めるエテックス。幾つものヴァリエーションが自在に生まれ、師弟は笑いの純度を高めてゆく。それはギャグの「正解」を求めてモンタージュ写真を作成していくような作業だったのでしょう。
この連載ですでに触れた好著
『エテックス、タチをデザインする』を眺めると、『ぼくの伯父さん』でのギャグのみならず後年
『プレイタイム』や
『トラフィック』で採用されることになるギャグの原型が散見することに驚きを覚えます。ただし念を入れるべく付言すると、上記のプロセスからいって、それらはエテックスの独創というよりは、タチとエテックスの共同作業の結果と見なすべきものでしょう。
ちなみに『ぼくの伯父さん』で描かれる2つの世界のうち、アルペル邸の造形はラグランジュに負うところが大ですが、ユロの珍妙なアパートの造形はエテックスのフィールドワークの成果だというのが定説で、加えてアルペル夫人などの登場人物の外見もエテックスの筆から生まれたことがその画帳から窺えます。

*左からタチ、アンリ・マルケ(助監督)、エテックス
『ぼくの伯父さん』のクランクインは1956年9月と伝えられています。とすると、シナリオに2年もかけたわけで、ここにもジャック・タチの仕事っぷりがあらわれています。
若きピエール・エテックスは撮影現場でも助監督という立場で奮闘します。映画の世界でいう「助監督」とは「何でも屋」の謂であり現場一の下っ端、しかしエテックスは専制君主ジャック・タチの無理難題によく応えました。
以下本稿では現場裏方としての活躍は割愛し、いま一度連載の流れに立ち戻って「演者」としてのエテックスに焦点を当ててみましょう。
ピエール・エテックスは『ぼくの伯父さん』の2つの場面に顔を出しています。
一つは縁日のサンモール広場のシーン。ユロのアパートの管理人のおばさんが庭先で一心不乱に鶏の羽をむしっています。通りかかった郵便配達人がいたずら心を起こして「クヮ、クヮ、クヮ、クワァー」と鳴きまねをしたため、おばちゃんは鶏が生き返ったのかと勘違いし、びっくりして腕をブルブルさせます(そのため鶏の亡骸はまるで生きているように身を震わせる)。聴覚ギャグが視覚ギャグに変化してゆく、鋭いシュートボールのような笑いですね。
エテックスがこの郵便屋さん(短編
『左側に気をつけろ』以来のタチのオブセッション・イメージ!)に扮しているのはつとに有名ですが、実はここ以外にもう一箇所出演シーンがあります。

それはアルペル夫妻の結婚記念日、夫人がこっそり自動開閉式ガレージを旦那にプレゼントしようとする場面で、この資材を運び入れる作業員の一人(口髭のあるほう)が何とピエール・エテックスなのです(ちなみにもう一人は本連載第1回に登場した
ジャック・コッタンその人)。
エテックスほどの千両役者をこれだけしか使わないのですから何とも贅沢な話ですが、残念なことにエテックスがタチの映画に出演するのも、これが最初で最後となります。
その理由は次回。
(この項つづく)
(佐々木秀一/執筆)
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