
*ロベール・ブレッソン監督『スリ<掏摸>』より(1959年/中央がエテックス)
連載第8回 タチの一番弟子(ピエール・エテックス ③独立篇)映画
『ぼくの伯父さん』がカンヌ映画祭で初公開された少しあと、1958年の夏の終わり、ピエール・エテックスは自分を鼓舞すべく朝からシャンパンをあおり出社しました。スペクタ・フィルム社に辞職を申し出るからです。表向きには、真の使命に立ち返ってサーカスの仕事がしたいから、というのが理由でした。ジャック・タチはもちろん引き留めましたが、エテックスの意志は固く……
~ピエール・エテックス~(Pierre Étaix/1928-)
エテックスの内心はもう少し複雑でした。すでに述べたとおりタチと初対面の段階でエテックスには妻子がいましたが、《タチ商会》の支払うサラリーはそもそも一家の家計に充分とはいえず、待遇への不満は最初期からくすぶっていたようです。
それでもある時、タチが昇給をほのめかしたのでエテックスは期待したのに、給料はいっこうに上がる気配がない。エテックスが経理の幹部に尋ねてみたところ話はまるで伝わっておらず、結局『ぼくの伯父さん』の共同プロデューサーに間に立ってもらって昇給がようやく果たされた(それもスズメの涙ほどの…)、というようなエピソードもあったそうです。
さらに、エテックスの心を崖下まで突き落とす出来事が発生します。
『ぼくの伯父さん』の製作も最終盤、つなぎのシーンなどを追加撮影していた時期、たまたま疲労の極にあったエテックスは照明係のアークライトに長時間照らされているうちにめまいがしてきて倒れてしまいました(今でいう「熱中症」)。ところが監督は心配するどころか「もうへばったのですか」というような言葉を投げかけた。朦朧としたエテックスの意識のなかでは、その言葉にこめられていたはずの危惧や仲間意識のニュアンスは、あるいはすっぽり抜け落ちて聞こえたのかも知れません。
この偶発事をきっかけに、エテックスの心は一挙に辞職の方向へ向かったということです。
宮仕え体験者には誰しも身に覚えのある――逆にいえば「ありふれた」行き違いで、ここに人格上のドラマは無いでしょう。仮にスペクタ・フィルム社が相応の報酬を支払い、タチという上司がもう少し優しい人間だったとして……エテックスの退社は2年か3年は先に延びていたかも知れません。つまり要はそれだけの話で、エテックスはタチといずれ袂を分かたねばならない運命にあった。ヴィスコンティがいつまでもジャン・ルノワールの助監督をしている図など想像できないのと事情は同じです。

*《オランピア劇場の「のんき大将」》のTVPR→
動画はコチラをクリック!この年からのエテックス/タチの協力関係をたどってみると――
1958年、ジャン=クロード・カリエールの小説版『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』のイラストレーションを担当。
1960年、翌年再公開の
『ぼくの伯父さんの休暇』のために新たなポスターをデザイン。
1961年、舞台公演《オランピア劇場の「のんき大将」》に客演。
少なくとも辞職直後の3年ほどは、師弟ともに相互のメリットを見据えた冷静な関係を維持しているふうでしたが、1961年から1963年にかけてエテックスが『破局』(短編)、『幸福な記念日』(短編/アカデミー短編映画賞受賞)、『女はコワイです』(処女長篇/ルイ=デリュック賞受賞)を立て続けに製作公開してゆくのに歩調を合わせるかのように、タチはエテックスへの警戒を強めていきます。

*『女はコワイです』より
タチはこれら三作のプライヴェートな上映会を催し、旧知のスタッフやスペクタ・フィルム社の社員を前に、ここはキートンの真似、ここはマック・セネットからの盗用、ここは自分からのパクリ、と指摘していったといいますから怖い。
またタチは1961年と1962年の二度に分け
『イリュージョニスト』のシナリオをCNC(フランス国立映画センター)に登録したのですが、製作を断念した同作をわざわざ登録したのもエテックスを警戒してのこと、という説が存在します。
『イリュージョニスト』はエテックスの入社以前に発芽したプランなので、エテックスも構想には参加していたであろう点。このシナリオを実写化する場合、誰が見ても主役の手品師にはタチよりエテックスのほうが適任である点(マジックの技術)。これらから見て、タチがエテックスと共同で(言いかえると「スペクタ・フィルム社として」)考案したアイディアを、一つたりともエテックスには利用してほしくないと思っていたなら、この登録には被害妄想ではなく、正当な防衛の意識を見るべきなのでしょう。
いずれにせよ独立直後の余熱の時期を経て、師弟関係はライヴァル関係へと明らかに移行していきます。
次回は最終編、師弟の永別とエテックスの偉大な貢献について。

*
『ぼくの伯父さんの休暇』(カリエール作、エテックス画、小柳帝訳)
(この項つづく)
(佐々木秀一/執筆)
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