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ジャック・タチ映画の人名録7 ピエール・エテックス②

タチ人名録7ピエール・エテックス1
*『ぼくの伯父さん』撮影現場でのエテックスとタチ

連載第7回 タチの一番弟子(ピエール・エテックス ②奮闘篇)

絵の才能が決定打になって雇われることとなったピエール・エテックスでしたが、ジャック・タチはエテックスに「絵コンテ」要員を期待したわけではありません。ヒッチコックや黒澤明のように《シナリオ→絵コンテ→撮影 》という工程を採っていたわけではなく、逆にタチはシナリオを練りあげるために「絵」を必要としたのです。

タチの喜劇は奇抜なストーリーや言語ギャグとはあくまで無縁で、その作風は観察ギャグの連鎖から大きなテーマがぼんやりと浮かびあがる態のものです。この特質上、タチは市井を観察してギャグの材料を集め、そのネタを完成された寸劇に発展させ、さらにそれらを組み合わせてシナリオを固めるという手順を踏んでいました。

そしてこの過程で必要とされたのは言葉ではなくデッサンやクロッキーであり、いわばタチは言語や観念ではなくもっぱら視覚(と聴覚)で考えるタイプの作家だったわけです。

画才のないタチは『ぼくの伯父さんの休暇』からジャック・ラグランジュという協力者を得ていたものの、ラグランジュはタチと年齢も近く、すでに画家として一家を成していました。対して若いエテックスは顎で使えるうえ、正統的な舞台美術家ラグランジュにはないギャグのセンスも持ちあわせていました。タチの方法論からいって大いに重宝したのは想像に難くありません。

~ピエール・エテックス~
(Pierre Étaix/1928-)

タチ人名録7ピエール・エテックス2
*奮闘する若きエテックス

かくして『ぼくの伯父さん』のシナリオ準備のため、エテックスが画帳を片手にパリをうろつく日々が始まりました。

ロケハンも兼ね、各所で目についた奇妙な事象(人物、出来事、建物etc.)をスケッチする。事務所に帰ってからはタチと意見を交換し、拾いあげたネタを一篇のギャグに昇華させてみる。アイディアを独得な着想で発展させるタチ、素早くそのイメージを描き留めるエテックス。幾つものヴァリエーションが自在に生まれ、師弟は笑いの純度を高めてゆく。それはギャグの「正解」を求めてモンタージュ写真を作成していくような作業だったのでしょう。

この連載ですでに触れた好著『エテックス、タチをデザインする』を眺めると、『ぼくの伯父さん』でのギャグのみならず後年『プレイタイム』『トラフィック』で採用されることになるギャグの原型が散見することに驚きを覚えます。ただし念を入れるべく付言すると、上記のプロセスからいって、それらはエテックスの独創というよりは、タチとエテックスの共同作業の結果と見なすべきものでしょう。

ちなみに『ぼくの伯父さん』で描かれる2つの世界のうち、アルペル邸の造形はラグランジュに負うところが大ですが、ユロの珍妙なアパートの造形はエテックスのフィールドワークの成果だというのが定説で、加えてアルペル夫人などの登場人物の外見もエテックスの筆から生まれたことがその画帳から窺えます。

タチ人名録7ピエール・エテックス3
*左からタチ、アンリ・マルケ(助監督)、エテックス

『ぼくの伯父さん』のクランクインは1956年9月と伝えられています。とすると、シナリオに2年もかけたわけで、ここにもジャック・タチの仕事っぷりがあらわれています。

若きピエール・エテックスは撮影現場でも助監督という立場で奮闘します。映画の世界でいう「助監督」とは「何でも屋」の謂であり現場一の下っ端、しかしエテックスは専制君主ジャック・タチの無理難題によく応えました。

以下本稿では現場裏方としての活躍は割愛し、いま一度連載の流れに立ち戻って「演者」としてのエテックスに焦点を当ててみましょう。

ピエール・エテックスは『ぼくの伯父さん』の2つの場面に顔を出しています。

一つは縁日のサンモール広場のシーン。ユロのアパートの管理人のおばさんが庭先で一心不乱に鶏の羽をむしっています。通りかかった郵便配達人がいたずら心を起こして「クヮ、クヮ、クヮ、クワァー」と鳴きまねをしたため、おばちゃんは鶏が生き返ったのかと勘違いし、びっくりして腕をブルブルさせます(そのため鶏の亡骸はまるで生きているように身を震わせる)。聴覚ギャグが視覚ギャグに変化してゆく、鋭いシュートボールのような笑いですね。

エテックスがこの郵便屋さん(短編『左側に気をつけろ』以来のタチのオブセッション・イメージ!)に扮しているのはつとに有名ですが、実はここ以外にもう一箇所出演シーンがあります。

タチ人名録7ピエール・エテックス4

それはアルペル夫妻の結婚記念日、夫人がこっそり自動開閉式ガレージを旦那にプレゼントしようとする場面で、この資材を運び入れる作業員の一人(口髭のあるほう)が何とピエール・エテックスなのです(ちなみにもう一人は本連載第1回に登場したジャック・コッタンその人)。

エテックスほどの千両役者をこれだけしか使わないのですから何とも贅沢な話ですが、残念なことにエテックスがタチの映画に出演するのも、これが最初で最後となります。
その理由は次回。

(この項つづく)

(佐々木秀一/執筆)



ジャック・タチ映画の人名録6 ピエール・エテックス①

タチ人名録6ピエール・エテックス1

連載第6回 タチの一番弟子(ピエール・エテックス ①邂逅篇)

ジャック・タチに師匠はいませんが、弟子筋にあたる人物は何人か存在します。例えばジャン=クロード・カリエールやソフィー・タチシェフ。しかしカリエールはノヴェライゼーション作家に抜擢されたことが縁のいわば外弟子、ソフィーは弟子である以上に肉親であるという点がそれぞれ正統感をやや弱めています。

直系の一番弟子という称号に誰が見てもふさわしいのは、やはりピエール・エテックスでしょう。なにしろエテックスはタチの製作会社スペクタ・フィルム社に一時期在籍すらしていたのですから立派な内弟子です。

というわけで、ここから数回エテックスを扱いますが、エテックス氏はいまや巨匠であり、その全貌を過不足なく紹介することなど筆者の浅学には不可能なので、あくまでタチとの接点をアバウトに描くのみであることをあらかじめお断わりしておきます。

タチ人名録6ピエール・エテックス2
*映画作家、俳優、道化師、ギャグ作家、手品師、イラストレーターとマルチな才能をもつエテックス

~ピエール・エテックス~
(Pierre Étaix/1928-)

1928年にフランス中央部ロアンヌに生まれたエテックスは、14歳で地元の名匠に師事してステンドグラスの技法とグラフィックデザインを学びはじめます。いっぽうでかれは、5歳の頃から道化師とサーカスの世界に憧れ、アマチュア芝居に参加するような少年でもありました。

ガラス工芸の見習い修行を終えた後、1953年段階ですでに妻子がいたエテックスは諷刺雑誌にユーモア漫画を寄稿し生計を立てていました。同年に封切られた『ぼくの伯父さんの休暇』を観たエテックスは「それまでの喜劇映画とは一線を画す、むしろミュージックホールやサーカスの香りのする」この作品に魅了されます。

翌年、そのジャック・タチが出演するラジオを聴いたエテックスは意を決します。タチはサーカスを話題にしたうえ、イラスト画家や作家カミ(『ルーフォック・オルメス』)についても触れ、「映画作りの仕事では、イラストを描ける人が有利」と語っていたのです。

サーカス芸人になるという自分の夢についてこの人物に意見を訊いてみたいと、エテックスはタチに手紙を送ります。「当方は役者、演出家、舞台美術家。一度是非お会いいただきたく…」。1954年2月3日のことでした。

タチ人名録6ピエール・エテックス3
*エテックスによるデザイン画。

曲折を経て、8月8日に最初の面談。エテックスはロアンヌから長距離トラックに便乗して上京していました。夕方の6時、パンティエーヴル通りの自宅で、エテックスの自己紹介が済むとジャック・タチは口火を切りました。

「あなたは役者になりたいのですか」

エテックスがかぶりを振ると、それは結構、さもないと、あれは最低の商売ですよと言わねばならぬところでした、とタチは反応した。

それでは何がやりたいのと訊かれたエテックスがサーカスへの夢を語ると、タチは「あれは一種の閉鎖社会で、外部の人間が入りこむことなど不可能です」と即座に却下、自分の体験もまじえて懇々と諦めるよう諭された。

梨園への幻想を砕かれた形の若者に、タチは映画には興味がないのかと尋ねた。正直に、映画の製作については何も知らないと答えたエテックスは「でも、あなたの映画の端役に使ってもらえるのならとても嬉しいのですが。なぜなら…」とタチ作品への賛嘆を語った。

じゃあ、あなたにはどんなことができるの、と返してきたタチは、エテックスの持参していた書類鞄にふと目を留めます。

そこにはイラスト作品が100点ほど詰めこんでありました。タチは1枚1枚じっくりと眺め、ときどき「こういうイラストを描くことが好きなの?」とか「これ、気に入っている?」と訊いてきた。観終わったタチはやおら立ち上がり、どこかに「見せたいものがあるから来てくれ」と電話を入れた。相手は秘書兼マネジメント担当のベルナール・モーリスでした。

時計の針はもうじき9時をさそうとしていました。ジャック・タチは改めて若きエテックスに語りかけた。「私のところで働きたいとやってくる若者は多いのですが、いかんせん連中には観察の才も喜劇のセンスもない。でもこのイラストには……。次回作のシナリオの仕事を私とやってみませんか。『ぼくの伯父さん』というタイトルなのですが」

(この項つづく)



REVOIR LES FILMS DE PIERRE ETAIX... 投稿者 iletaixunefois

*エテックスとカリエール。エテックスにとっては深刻な自作の上映権問題まで笑いのネタにしてしまう二人の巨匠!


(佐々木秀一/執筆)


ジャック・タチ映画の人名録5 ラインハルト・コルデホフ

タチ人名録5ラインハルト・コルデホフ1

連載第5回 ドイツの美声(ラインハルト・コルデホフ)

ルキノ・ヴィスコンティ監督『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)は、ルール工業地帯の鉄鋼財閥一族の没落と大戦間ドイツの歴史を描いた一大絵巻ですが、このなかに製鉄会社の重役で突撃隊の幹部でもあるコンスタンティンという男が登場します。「長いナイフの夜」事件で親衛隊に粛清されることになるこの男。もう10年以上前に本作を観ていたとき、この男のよく通る厚みのある声を聞いているうちに、何かが記憶中枢を刺激してきました。鑑賞後さっそく調べてみると……

というわけで、今回はジャック・タチ映画に出演した渋いバイプレーヤー篇です。

タチ人名録5ラインハルト・コルデホフ2
*『地獄に堕ちた勇者ども』より。虐殺される直前のコンスタンティン。

~ラインハルト・コルデホフ~
(Reinhard Kolldehoff/1914-1995)

この男の声が聞こえてくるのは『プレイタイム』(1967年)前半です。ユロが迷いこんだ商業展示場にはドイツの会社もブースを出していて、デスクをあさりチラシを勝手に持っていった失敬な客がいると部下から報告を受けた支配人は、たまたま通りかかったユロをその無礼者と勘違いし、大声で文句を言ったあげくドアの向こうのスタッフルームに去っていきます。

タチ人名録5ラインハルト・コルデホフ3
*『プレイタイム』より。右端がコルデホフ。

可笑しいのは、激するままに支配人がドイツ語でまくしたてるので、ユロには(われわれにも)相手が怒っているのは分かっても悪態の中味が理解できない点。これに加えて、これまた怒りにまかせて支配人は去り際にドアを勢いよく閉めるのですが、このドアが皮肉にも会社ご自慢の製品《音なし扉》であるため、いくら乱暴に閉めても「……」。よそに気をとられていたユロは、相手がいつのまにか消えてしまったので、ぽかんとしているばかり。無音では怒りのデモンストレーション効果は半減なわけですね。

この聴覚ギャグの連打は鮮やかで、『プレイタイム』の小ネタのなかでも最高度なものと個人的には偏愛しています。

直後に誤解が発覚し支配人はユロに詫びるのですが、和解のどさくさで支配人のメガネはユロの握手によりひん曲げられ、笑いは(すでに始まっていた)メガネにまつわるギャグへと合流してゆきます。

タチ人名録5ラインハルト・コルデホフ4

それはさておきジャック・タチはこの支配人のキャストにおそらく、

①ドイツ人 ②ユロと同等に恰幅のよい長身 ③怒り映えする大きな美声

を求めたものと推察されます。①については外国人のブースならイタリア人のでもスペイン人のでもよさそうなものですが、喜劇のコードに沿うなら、やはりここはドイツ人(!)の出番でしょう。

タチだけでなく、その後にはヴィスコンティも必要とした「声」の持ち主はラインハルト(ルネ)・コルデホフといい、1914年ベルリンに生まれました。コルデホフは1936年に舞台デビュー。1941年には映画にも進出しましたが、同年に応召し終戦まで従軍。ただし戦時中以外は役者一筋の人生で、戦後は30カ国以上の劇場映画170本ほどに出演したほか、膨大な数の舞台、テレビ映画、吹替でも活躍、「戦後のドイツで最も引っぱりだこの俳優の一人」と称されたそうです。

タチ人名録5ラインハルト・コルデホフ5

但しあくまで脇役が専門、その容貌や声から本国では悪役、他国では「敵役ドイツ人」が主要な役どころだったコルデホフは、観客にしてみれば印象には残るが名前は浮かばない俳優、逆に言えば業界受けする役者だったようです。

コルデホフの比較的近年の出演作には、アラン・ドロン主演の『ボルサリーノ2』(1974年)や『ブーメランのように』(1976年)などがあり、またセルジュ・ゲンズブールがメガホンをとった『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1976年)や『赤道』(1983年)でもいい味を出しています。


(佐々木秀一/執筆)


ジャック・タチ映画の人名録4 イヴォンヌ・アルノー

タチ人名録4イヴォンヌ・アルノー1

連載第4回 イヴォンヌの謎(イヴォンヌ・アルノー)

ジャック・タチの映画に2度出演した役者の第2弾をと調べはじめたところ、思わぬ難題にぶつかってしまいました。完璧な証明はできていませんが、今日的な論点を孕んでいると思われるので、あえて自分なりの解答をさらしてみましょう……

タチ人名録4イヴォンヌ・アルノー2

~イヴォンヌ・アルノー~
(Yvonne Arnaud/生没年不詳?)

映画『プレイタイム』(1967年)で、ヒロインのバーバラは《ロイヤル・ガーデン》に印象的な緑のドレスで入店します。ドレスはこの夜会のためにホテルで着替えたものであることが、直前のシーンから分かります。アイロンをかけ直したのでしょう、ルームメイドがこの衣装をうやうやしく渡しにくるのです。

「とっても素敵に引き立ちますことでしょう」とか言いながらチップを固辞するこの初老の小柄な客室係を初めて見たとき、「あ、この女性は」と即座にある人物が思い浮かびました(ちなみにこの役はノンクレジット)。『ぼくの伯父さん』(1958年)のアルペル家のお手伝いさん、すなわちジョルジェットがその人で、この二者は同一人物が演じているのだと、体格や仕草から判断したわけです。

愛犬ダキのせいで自動開閉ガレージに閉じ込められたアルペル夫妻が家政婦ジョルジェットに助けを求めるものの、臆病な彼女がセンサーの光線を異様に怖がって、なかなか電磁波ゾーンを横切ろうとしない。パニックに陥り拒絶と躊躇を繰り返すさまは、極端に芝居がかっているぶん諷刺が二重三重に効いていました。

タチ人名録4イヴォンヌ・アルノー3

ところが本稿のために、クレジットされたYvonne Arnaudなる俳優を調べてみたところ、IMDbや海外版Wikipedia等には「1890-1958/フランスに生まれ英国で活躍したピアニスト兼女優」とあります。これが本当なら、1958年段階で撮影は完了していた『ぼくの伯父さん』はともかく、『プレイタイム』のほうには出演できっこありません。

タチはまず自分でマイムをして見せて、それを演者に真似させるという典型的な「振付師」タイプの演出家なので、同じようなお手本で振り付ければ、誰が演じても同じように見えるはず、という理屈は成り立つかも知れません。しかし筆者の目には、2本の映画の2人のメイドはどう見ても同一人物としか思えないのです。

タチ人名録4イヴォンヌ・アルノー4
*「ピアニスト兼女優」のイヴォンヌ・アルノー

筆者が自分の主観のあやふやさを棚に上げかくまで強弁するのには、実はもうひとつ理由があります。2007年にフランスで出版された『エテックス、タチをデザインする』という著作(好著!)の中のある記述を記憶していたからです。

著者はこのなかで、「イヴォンヌ・アルノーなる名をもつ舞台女優」について次のように注解を加えています。

「タチはこの女優に再度『プレイタイム』で協力を仰いだ。イヴニングドレスをバーバラに持ってくるのは彼女で…(中略)…ジョルジェットを演じるためにイヴォンヌ・アルノーは、自分の髪の毛を痛めつけることにも同意した。カラスの濡れ羽色に染めたうえ、はさみと化粧品でわざわざ髪型を不格好に、ばりばりごわごわにセットしたのだ」。

タチ人名録4イヴォンヌ・アルノー5

この記述は、後段が明らかに取材ないし文献参照に基づいている点からも全体の信憑性は高いと思われます。あたまから同一人物と信じこんでいた身としては、IMDbやWikipediaよりも、なおさらこっちの説のほうに信を置きたい。

残された映像画像で見る限り、ピアニスト兼女優のイヴォンヌ女史はさほど小柄には見えませんが、映画のジョルジェットはご覧のとおり小児のような背丈です。またピアニスト女優の主たる活躍圏はあくまでイギリスであり、しかも1947年を最後に映画からは遠ざかっていました。やはりこの人物とタチの映画は無関係で、同姓同名のイヴォンヌ・アルノーさんが2本の映画で2人のメイドを演じた、と見立てるべきではないでしょうか。

なにしろ半世紀以上昔の話。クラシック畑の名ピアニスト兼女優(わが国では「イヴォンヌ・アルソオ」という表記もあり)と、一介の舞台女優が同姓同名の別人であることは、当時なら言わずもがなの事実に属していた。しかし時は経過しデジタル全盛の現代、データベース構築の際に二つの無関係な事項が実体から遊離して結びついてしまい、検索とコピペによりこの誤認が定着してゆく……

以上が筆者なりの推理です。


(佐々木秀一/執筆)

ジャック・タチ映画の人名録3 ミシェル・ブラボー

タチ人名録3ミシェル・ブラボー2

連載第3回 奇妙なコメディエンヌ(ミシェル・ブラボー)

『ぼくの伯父さんの休暇』序盤にこんなギャグが登場します。やたら派手なつば広帽子をかぶった女性がユロに気取った会釈をしたので、ユロも慇懃な微笑みを返す。その場で振り返ったユロは鏡で笑顔を確認した後も、使い慣れない顔面筋を不自然に使用したせいか表情がうまくほぐれず、かえって引きつり顔の百面相みたいになってしまう……

今回とりあげるのはこの帽子の婦人、すなわちミシェル・ブラボーです。

タチ人名録3ミシェル・ブラボー1
*中央の女性がミシェル・ブラボー

〜ミシェル・ブラボー〜
(Michèle Brabo/1916-2013)

ブラボーはフランスの大手楽譜出版ルデュック社の創業者一族に生まれ、1938年に22歳年長の画家アルベール・ブラボーと結婚。1948年に芸能界デビューし、数本の映画に脇役として出演したほか、ジュリエット・グレコやボリス・ヴィアンらとともに伝説的キャバレー《屋根の上の牛》の舞台を踏む。ジャック・タチの知遇を得たのは、おそらくこの時期のはず。

『休暇』(1953年)に出演後も『ぼくの伯父さん』(1958年)ではアルペル邸の隣家の女性の吹替えを担当し、続いて舞台「オランピア劇場の《のんき大将》」(1961年)にも客演。時間は飛んでタチの遺作『パラード』(1974年)には芸人として終盤に登場しました。

『休暇』ではエキゾチックでいかにも気取った女性を演じたブラボーですが、舞台芸人としての本領はトロンボーン演奏と歌にあり、紫のスリットドレスをまとい、トロンボーンのコントとスキャットとダンスを披露した『パラード』で彼女は本来の芸風(ならびに脚線美?)をフィルムに留めたことになります。

ただしブラボーは1950年代末から活動の主軸を写真や記録映画に移しており、後者の成果としては画家スゴンザックのドキュメンタリー(監督/1962年)などがあります。『パラード』出演後の彼女はライフワークたる写真に専念、生涯のテーマである同時代の芸術家のポートレートや《ジプシー》の生活風景を求めて旅に明け暮れるように。ちなみにブラボー没報道での彼女の肩書きのトップは「写真家」でした。

タチ人名録3ミシェル・ブラボー3

ジャック・タチの映画に2度出演した役者は端役まで目を凝らせば数名いますが、ミシェル・ブラボー以外はいずれも「2作続けて」の登場で、20年以上の間隔を置いて再度キャスティングされた彼女は、文字どおり特例的存在に当たります。

しかも『ぼくの伯父さんの休暇』での挨拶場面はタチにしては珍しい表情芸で、ブラボー女史の特徴的な顔を笑み返しで顔面模写し、作中女性の心根(わざとらしさが固まったような)まで「鏡」のなかに再現してみせたギャグは、ずいぶん意地悪だよなあと妙に印象に残ります。

仏版Wikipediaによれば、ミシェル・ブラボーとタチにはある時期から「家族ぐるみ」の交際が生じた模様で(もしかしたら彼女の夫=画家と、タチの実家=額縁商がそもそも知己だったのかも)、タチがあのように非フェミニズム的で辛辣なギャグを採用できたのは、むしろ気心が知れた仲だったからなのかも知れません。

ともかくも、やや大袈裟に言うならシドニー=ガブリエル・コレットならびにレニ・リーフェンシュタールを思わせるところのあるこの女芸人兼芸術家を、タチが面白がっていたことは間違いのないところでしょう。

タチ人名録3ミシェル・ブラボー4
*ミシェル・ブラボーの写真集『運命の風――マヌーシュ、ロマ、ジタン』2005年刊


(佐々木秀一/執筆)


ジャック・タチ映画の人名録2 ビリー・カーンズ

タチ人名録2ビリー・カーンズ1

連載第2回 ミスター・プレイタイム(ビリー・カーンズ)

ジャック・タチ映画のキャスティングは、素人の活用とスタッフの流用ばかりに見えますが、よく調べてみると実力のある職業俳優もちらほら混じっていることが分かります。今回はそんな渋いバイプレーヤーの中から、この人。

〜ビリー・カーンズ〜
(Billy Kearns/1923-1992)

『プレイタイム』の後半、舞台が《ロイヤル・ガーデン》に移った直後、まだだいぶ寒々しいこの新装レストランに「ヤッホー」と大声で登場するアメリカ人実業家。この男を演じているのがビリー・カーンズです。

タチ人名録2ビリー・カーンズ2
*画面中央、がっしりした男がビリー・カーンズ

カーンズは1923年アメリカのシアトル生まれ。第2次大戦に従軍し初めてヨーロッパの地を踏む。1954年から米国のある独立行政法人の支局勤務のためフランスに居住。翌年からは米国文化情報局が発行するフランス人向け雑誌にスポーツや経済のコラムを寄稿しはじめるが、1958年たまたまアメリカ人俳優募集に応募したところ即座に採用。以降カーンズはフランスで150作あまりの映画に出演、また1200本ほどの吹替えにも関わった立派な「声優」でもあります。

名作系では『冬の猿』(1962年/アンリ・ヴェルヌイユ監督)、『審判』(1962年/オーソン・ウェルズ監督)、『家庭』(1970年/フランソワ・トリュフォー監督)などにも顔を出しているのですが、初期の決定打であり、日本で最もインパクトが強烈だったと思われるのは、何といっても『太陽がいっぱい』(1960年/ルネ・クレマン監督)です。

タチ人名録2ビリー・カーンズ4
*映画『太陽がいっぱい』より。左からドロン、カーンズ、ロミー、ロネ。

この映画の冒頭、友人役としてアラン・ドロン&モーリス・ロネの前に姿を現わすのがカーンズで(ちなみに連れはカメオ出演のロミー・シュナイダー)、物語後半で犯罪に感づいたカーンズはドロンに布袋様の置物で撲殺されます。ドロンがカーンズの巨体を持て余しながら遺体処理に当たる場面は、本作におけるサスペンスのピークか。

この映画でのカーンズは、作中でただ一人「本物の」アメリカ人に見える点と、下層のドロンをさも見くだす傲慢さが絶品でしたが、演技経験のないカーンズが初めてのオーディションで即刻採用され、その後長らくフランス映画界で(主にアメリカ人役として)重宝されたのは、このブルドッグみたいな風貌と、鬱陶しい図体と、何よりあの強烈なヤンキー臭ゆえでしょう。

タチ人名録2ビリー・カーンズ3

『プレイタイム』後半、場の空気はどんどんヒートアップしてゆきますが、ギアが上がる導火線となるのは必ずビリー・カーンズ(作中のシュルツ氏)です――飾り天井を壊す、特設酒場を「開業」する、仕事を止めようとしない同胞を咎める(この場面はまさしく「プレイタイム宣言」)。その意味でシュルツ氏はこの物語に降臨した酒神バッカスであり、作品のモチーフそのものと言えましょう。

アメリカニゼーションを諷刺したこの作品で、ジャック・タチ(脚本・監督)が決定的な台詞をアメリカ人役に語らせ、しかもビリー・カーンズのような役者を選んだ点には注意が必要と思えます。

(佐々木秀一/執筆)


ジャック・タチ映画の人名録1 ジャック・コッタン

ジャック・コッタン1

連載第1回 もう一人のユロ氏

前項までの日本版Blu-ray BOX レビュー連載にお付き合いいただいた読者のみなさま、どうも有難うございました。まだまだ紹介しておきたいトリヴィアはあったのだがなあ、と悔しがっているうちに、あるアイディアが思い浮かびました。

名付けて《ジャック・タチ映画の人名録》

タチの映画のキャスト/スタッフに名を連ねた人々を1回につき1人ずつ紹介していくという連載コラムで、これなら従来あまり言及されなかった側面にスポットを当てられるでしょうし、間違いなく一定の項目数と情報量には達するはずです。プランの性質上「順不同」としますが、最後にジャック・タチ本人に項目が回帰することを今から約束しておきます。

さてその記念すべき第1回はジャック・コッタン篇です。

ジャック・コッタン2
*画面奥、白い帽子の男がジャック・コッタン

〜ジャック・コッタン〜
(Jacques Cottin/生没年不詳)

『のんき大将』はジャック・タチの処女長篇という事情もあるのでしょう、スタッフにはタチの舞台芸人時代の人脈がそのまま引き継がれている傾向が強いようです。例えばジャン・ヤトヴ(戦前はナイトクラブの指揮者→『のんき大将』では音楽担当)、アンリ・マルケ(ジャグラー→映画では脚本協力)、アンドレ・ピエルデル(奇術師→映画では美術・小道具)。本項のジャック・コッタンも戦前は本職のパントマイマーだったそうです。

さてこのコッタン氏、『のんき大将』では「衣裳デザイン」担当とクレジットされていますが、カメラの前でも重要な役――フランソワのアメリカ式「疾風」郵便配達にバイクで伴走するパン屋さん――を演じています。川に転落したフランソワを見失ったパン屋が、心細げにパフパフとクラクションを鳴らすシーンは、思い出しただけで笑えてきます。

コッタンは同じくタチの『ぼくの伯父さん』『プレイタイム』をはじめ、1991年まで正式にクレジットされただけでも21本の映画に衣裳デザイナーとして参加しました。

しかし、この連載の栄えあるトップバッターに抜擢した理由の第一は、何といってもこれです。



タチは観客があまりにも「ユロを、ユロを」と渇望することに鼻白んでしまい、「どうか他の監督もユロを自作に出演させてあげてほしい」という妙なキャンペーンに打って出ます。2014年現在、世界中でユロ氏に捧げられたオマージュはおそらく無数にあると思えますが、1970年当時このアピールに応じた奇特な映画作家はフランソワ・トリュフォーだけでした。

そしてこの動画すなわち映画『家庭』(1970年)でユロを演じているのが、ジャック・コッタンその人なのです。さすがに御大みずから出演するわけにはいかなかったのでしょうが、ではタチがなぜトリュフォー組にコッタンを派遣したのか?――このシーンを見れば理由は一目瞭然です。かつてのパントマイマーの技量はいささかも衰えていなかったわけです。

ジャック・コッタンはタチ同様、舞台(戦前)→映画(戦後)へとシフトしていったこの時代の芸人の典型例と言えるのでしょうが、その後半生のキャリアを眺めていると、ルイ・ド・フュネスの主演映画などに混じって、ピエール・グラニエ=ドフェール監督や、なかんずくクロード・ソーテ監督の作品にも衣裳デザイナーとして参画していることが分かり、一種感動を覚えます。

と申しますのも、実は筆者はタチフィルであると同時にロミイスト(女優ロミー・シュナイダー信奉者)でもありまして、そういう人間から言わせてもらえば、ジャック・コッタン氏がコスチュームを担当したクロード・ソーテ&ロミー・シュナイダーのコンビによる『すぎ去りし日の…』(1969年)『はめる/狙われた獲物』(1970年)の衣裳構成の美しさは特筆ものです。

まあ、あの『プレイタイム』を担当したわけですから、そんなの当然といえば当然のことなのでしょうが、クロード・ソーテのあの2作、つまり伝統的フランス映画の精髄ともいえる佳品においてストーリーをぐいぐい引っぱるようなコスチュームを構想し得たというのは、ジャック・コッタンの衣裳デザイナーとしての力量が、余技や道楽レベルでないことをはっきりと物語っています。

ジャック・コッタン3 はめる 狙われた獲物
*映画『はめる/狙われた獲物』より

(佐々木秀一/執筆)


速報!「ジャック・タチ コンプリートBOX」をレビューする11

コンプリートBOXバラ

連載第11回 日本版Blu-ray BOXを採点する(最終回)

今回の連載原稿を書くにあたり、必要あって(DVDではなく)ビデオ版の『ぼくの伯父さん』を引っぱりだす機会がありました。そこまでずっとBlu-rayを観ながらの作業だったためでしょう、えらく久方ぶりに見るビデオの映像が、なんだか際立ってザラザラした質感に思えました。このビデオを初めて手にした時は、本当に嬉しかったものなのですがね。

画質といえば、タチヨンこと映画研究家の坂尻昌平さんが以前、初めて映写で観た『ぼくの伯父さん』はモノクロ映画だったと笑っていたのを思い出します。つまりプリントの状態が悪すぎて、完全に脱色していたのでしょう。昔は何事につけ、みんな懸命に想像力でカバーしながら研究対象にアプローチしたものです。隔世の感、というか、モノンクルがモノクロじゃあ全くの洒落ですよね。

ジャック・タチ展2009


1 タチ・アーカイブの進展

ジャック・タチの没後わが国では過去3度、特集上映の波が訪れました。最初が1989年で、このときの目玉は20年ぶりの『プレイタイム』再上映、ラインナップから欠けていたのは『トラフィック』『パラード』。次が1995年で、目玉が『新のんき大将』(カラー版)初公開と『トラフィック』劇場初公開、欠が『プレイタイム』『パラード』。直近では2003年、目玉は『プレイタイム』(新世紀修復版)、欠が『トラフィック』『パラード』。

どうしても何かが落ちてしまうのが歯がゆいところでしたが、この事情は本国でも同様で、これはたぶんスペクタ・フィルム社の倒産とか、『トラフィック』『パラード』がそもそも第三者資本で製作された作品であること、つまりフィルムの権利所有者問題に起因していたのでしょう。

しかしその後、2009年にパリのシネマテークで大規模な《ジャック・タチ展覧会》が催される際に、全作品の上映が予定されていると聞いたとき、「これはもしかすると」と、状況の進展がはっきり予感されました。

今回の映画祭ならびにコンプリートなBOXが実現した背景には、明らかに権利問題がクリアに解決された事実があったはずですが、この流れを地道に進めてきた《フィルム・ド・モノンクル》に、まずは敬意を表したいと思います。

すでに数箇所で触れていますが、このBlu-ray版BOXに添付されたブックレットは、修復上の技術的レポートが充実していて、非常に参考になります。

評伝的アプローチとか構造分析は従来から見かけますが、フィルム自体の解剖報告はフランソワ・エデゥの著作を除けば稀で、こういう方向からの指摘には意表を突かれるものが多い。でも考えてみれば、今回の映画祭ならびにBOX実現の第二の前提条件はデジタル技術の急速な進化で、辛気臭い修復作業をやはり地道に進めてきたヨーロッパの技術者たちの功は絶大です。

冒頭で冗談めかして書きましたが、このBlu-ray版の映像の美しさは筆者のようなロートル・ファンから見ると「犯罪的」なまでで、こんな好条件からファン歴を開始できる若いシネフィルたちが正直羨ましい。

また裏方というなら本邦も同じで、劇場上映は措いてBOXのほうに話を限っても、発売の断を下した日本コロムビアさんをはじめとし、特典映像を含め膨大な作業に当たった字幕翻訳家の方々、ブックレットの面倒な文章を翻訳したスタッフの皆さん、それら全体のチェックに当たった監修の坂尻昌平さんらには、代表できるものならファンを代表して、最大限の感謝を申し上げたいです。ありがとうございました。

劇場上映もそうだったのですが、ビデオやDVDといったメディアも国内市場で一挙に全作が揃ったためしがなかったんですよね。ほんとうに快挙です。

「レビュー」といいながら奇妙な内容の連載を書き続けてきたわけですが、「最後にそれらしく採点でもしろ!」というお叱りの声が聞こえてきそうです。では——★★★★★として星の数は? 満天の星の数ぜんぶ! ですかね。

乙女の星


2 私の空想シネマテーク

近年はあまり読まれなくなったのですが、フランスにアンドレ・マルローという作家がいました。戦後、フランスの文化大臣もつとめた人物で、評伝的にも若干ながらジャック・タチとクロスする事項があります。そのマルロー氏の示した概念に「空想美術館」というものがあり、日本でも一時期これにならって「私の空想○○○」という言い方が流行したような記憶があります。

こんなことを言い出したのは、このBOX(Blu-ray版)でタチ・アーカイブはほとんど完成したと言えるからで、これに追加するとしたらあとは何なのかなあ、と考えていうちにこの「空想美術館」という言葉が連想されたという次第です。

なにせ「空想」ですから、現実的な障害や、現世的なしばり(版権など)を考慮に入れる必要はありません。それを前提として、最後に勝手な希望を書いてみましょう。

最初はジャック・タチの演技者としての側面。
厳密にいえば、タチの映画出演はBOX収録作品に限られるわけではなく、クロード・オータン=ララ監督による二つの作品にも純粋に役者として出演しています。

ひとつは『肉体の悪魔』(1947年)。タチは兵士の役を演じ、終盤で酒場のシーンに登場します(皆と何やらべらべら喋っている)。ただ出番はほとんどこれだけですから、空想アーカイブには映像クリップみたいな形でこの場面だけを収めておけばOKでしょう(ミシュリーヌ・プレールとジェラール・フィリップには申し訳ありませんが)。

ただしいま一本はそういうわけにはまいりません。『乙女の星』(1946年)がそれで、タチはこの作品ではユロ氏以上にサイレントです。

なぜならここでタチが演じているのは、亡霊というか幽霊というか、要するに半透明のゴーストだからです。この映画でのタチは全編出ずっぱりで、マイムには他の喜劇作品には見られぬ優雅さが溢れています(演技者タチの最高傑作と評する人さえいます)。貴公子のようにスマートなタチを堪能する意味で、こちらは空想アーカイブに全編収録が必要でしょう。

そして忘れてならないのは前回話題にした『イリュージョニスト』。ひとつにはシナリオ作者という資格で、いまひとつは演者の資格で——というよりは、ユロ氏の肖像権とその挙動のコピーライト所有者として、でしょうか。

あ、それと遺作シナリオ『コンフュージョン』の映画化も。タチがメディアの問題を扱ったという点が、非常に現代的な「何か」を予感させます。イオセリアーニでなくとも誰か(日本人の監督さんでも)……

しかし、全てのタチフィルが願ってやまないコレクションの最後の仕上げは、何といっても『プレイタイム』完全版(153分)の蘇生でしょう。今回の映画祭やBlu-ray版BOXのリリースに匹敵する衝撃波が今後あるとすれば、それは『プレイタイム』完全版のリリース以外に考えられません。

何しろ135分版のほうだってプリントを探すのに相当苦労したそうですから、153分版となると何をかいわんやなのでしょう。当時共産圏だったモスクワには存在するのでは、などとタチフィルたちのあいだでは囁かれておりますが、さて現実には一体どんな展開が。

それにしても、見果てぬ夢はどこまで続くのやら……



☆商品情報
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [Blu-ray]
 日本コロムビア / COXM-1094~1100
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [DVD]
 日本コロムビア / COBM-6696~6702
*Blu-rayとDVDでは内容・価格が異なりますのでご注意ください。
 なお本稿では、あくまで[日本版Blu-ray]のほうを扱っています。

(佐々木秀一/執筆)



速報!「ジャック・タチ コンプリートBOX」をレビューする10

イリュージョニスト:ジャケット

連載第10回 イリュージョニスト(番外編)

*この回で扱っている映画『イリュージョニスト』は、このたびのBOXには収録されておりませんので、ご注意ください。

ソフィー・タチシェフは『のんき大将』カラー版、『プレイタイム』70ミリ、『フォルツァ・バスティア』発掘などのほかに、ジャック・タチが正式に作家協会に登録した遺稿シナリオを、別の映画作家に映画化させるというプロデュースでも成果をあげています。

二つある遺稿のうち最晩年の『コンフュージョン』はオタール・イオセリアーニに映画化を打診しました。イオセリアーニはシナリオを興味深く通読したものの考えこんでしまいます。「自分の死後、自分のシナリオを他人が理解し映画化することはそもそも可能なのか」という根源的疑問に立ち返ってしまい、結局はソフィーの提案を辞退しました(イオセリアーニ本人の証言)。

いっぽう大成果を生んだのはシルヴァン・ショメ監督『イリュージョニスト』です。

ショメは2000年、製作中のアニメ映画『ベルヴィル・ランデブー』にジャック・タチの映画『のんき大将』のシーンを挿入したいと、ソフィーに申し出てきました。卓越したフィルム編集者であるソフィーはショメの映像感覚を認め許諾を与えたばかりか、亡父に未映画化脚本があるからアニメ化してみてはどうかとも提案しました。

近年わが国でも公開されたこの傑作アニメを、日本のファンもよもや忘れてはいないはずです。繊細な映像とストーリー、老マジシャンの寂しい境遇、しかし作品全体を覆う温かい心情。2011年3月、東日本大震災の直後に日本で封切られたこの作品は、多数ではないにしても深い共感を静かに呼び起こしました。

イリュージョニスト:タチ


1 露見した秘話

……1950年代のフランス。ロックンロールやテレビに押され、老いたる奇術師は時代から取り残されようとしていた。怪しげな余興で生計を立てる老奇術師は、海を渡りスコットランドの孤島にまで巡業する。島に電気が通った祝いの宴席で、無邪気なアリスという少女は手品を現実の魔法と信じこみ、老奇術師に懐いてエジンバラまで付いてきてしまう。少女の夢を壊したくない奇術師は、副業までしてアリスの望む品々を虚空からつぎつぎと取り出し続けるのだが……

この作品の製作が発表されたのは確か2005年くらいだったと記憶しています。そこから2010年の本国公開までに、ストーリーが紹介されたり、映像の一部が公開されたり、スキャンダルが伝えられたりとめまぐるしい動きがあったのですが、以下それらの順番は無視して、筆者が何を疑問に思い、どう納得したのかを説明してゆきたいと思います。

まず、このストーリーを読んで首をひねらざるを得ませんでした。そもそも、なぜこんな『ライムライト』もどきの哀話をあのタチが企図し、1961年に完全に断念するまで8年余も、次作候補の俎上に載せては下げを繰り返していたのか。そういえば評伝によると「こんなことをやっていると、自分が年寄りみたいに思えてくるから、この企画は捨てた」と何度目かの却下時には言ったとか。まさにそのとおり、と苦笑したくなりました。

次に、公開された部分映像でタチ(の絵姿)が主演しているのを見て、虚をつかれました。舞台芸人出身とはいえ奇術に疎く、かつ1955年の自動車事故で左手首の自由を失っていたタチは、手品もこなす腹心(アンドレ・ピエルデルorピエール・エテックス)を実写版の主役に据える心積もりだったというのが伝記上の定説だったからです。

しかしこの驚きは、冷静に考えてみるなら余計な知識ゆえの個人的思いこみが崩されただけの話です。筆者がもっと奇異に思ったのは、この時期のある報道でした——「この作品は元来、タチが奇術師を、娘ソフィーが少女を演ずるはずであった」。ソフィーがあの役を? 初耳でした。

ところがこのタイミングで、イギリスから衝撃的なニュースが飛びこんできました。

イギリスで名乗りをあげたタチの婚外孫が、公開を控えて「この脚本はタチが生涯交流を持てなかった、わたしの母へ宛てた詫び状だ」とプレスに発言した、というものです。

ドイツ軍占領下の時代、ウィーンから逃亡してきた某ダンサーと独身芸人タチとのあいだに生まれた娘ヘルガこそ「アリス」のモデルだと英国の孫息子氏は主張しているのです。

この段階で、タチの評伝作家の一人デイヴィッド・ベロスが調査した事実も確認できました——ヘルガは1956年に初めてタチへ手紙を送るが反応は得られず、のち英国人と結婚、帰化する際にようやく父親の認知を得た、と。

あまり愉快な話ではないので端折りますが、某ダンサーの妊娠が発覚したのは1942年はじめ、タチは結婚を望まず、事情を知った芸人仲間から反感を買ってナイトクラブ「リド」をクビになります。しかしタチ以上に強硬だったのはその姉で、タチを援助し最終的に金銭づくでこのダンサーを離別に追いやりました。この一件の落としだねがヘルガだったのです。

複数の評伝のどれもがジャック・タチの占領下の動向を把握しきれていなかった理由が、これで分かりました。第二次大戦で短期間兵役についた以外、タチの占領下(1940-1944)における行動は伝記上の空白領域でした。

筆者などは、時期が時期だけに対独協力的な言動でもあって、隠さざるを得なかったのかとすら想像しましたが、事実はそういう方向のスキャンダルではなかったようです。ただしこの逸話が秘されていたのは、誰もが脛に傷をもつ暗い時代のことゆえ、事実を知る者も自己を守るためには黙するのが得策だったからでしょう。

しかしここで着目したいのは、そのような評伝的発見のほうではなくて、その事実がある作品に与えた運命のほうです。

イリュージョニスト:アリス


2 運命の綾

実写版での共演説は、計画断念後、あとになったら何とでも言える気楽さから、いわば後日語りにタチがソフィーに伝えていたフィクションだったのでしょう。頓挫したとはいえ、自分のために書かれ、自分が演じるはずだったシナリオは、少女ソフィーにとっては誇らしいものでした。だからそのままソフィーはショメに受け売りし、そこから報道がさらに広まった。

しかし『イリュージョニスト』のあの老奇術師がアリスに寄せる献身は、どこからどう見ても自罰的なもので、ソフィーに向けられるはずの愛とは性格が異なるものです。

日本公開時の「ジャック・タチが娘のために書いた幻の脚本」という謳い文句は、真実を半分しか伝えていません。理解していただきたいのですが、この文章はタチの人格品位を貶めるために書いているものではありません。筆者は、事実と誤解と、『イリュージョニスト』という作品の真実が織りなす美しい綾に感動を覚えているのです。

映画化を正式にショメに託してから半年後の2001年10月、55歳でソフィー・タチシェフはこの世を去りました。父の秘密をおそらくは知らぬまま。自分が修復の道筋をつけた70ミリ版『プレイタイム』が公開されて以降のジャック・タチの驚異的な復権を見ることもなしに。

ですがソフィーは「他人が父を演じるくらいなら」というアニメーション化への発想の転換で、この不幸な企画につきまとう現世的な障害を全て打ち破っていたのです。

ショメはタチの外貌だけでなく、キャラクター「ユロ氏」の癖まで完璧に再現しました。七番目の、しかも死後の新作で、タチの左手は奇跡のように銀幕を舞ったのです。

作中の少女のモデルが誰であろうと、ここで筆者は故ソフィー女史を讃えておきたい。この作品の立役者であり、また最高最大の「イリュージョニスト」は、ソフィー、あなたに間違いないと。

イリュージョニスト:邂逅

*この回で扱っている映画『イリュージョニスト』は、このたびのBOXには収録されておりませんので、ご注意ください。

☆商品情報
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [Blu-ray]
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『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [DVD]
 日本コロムビア / COBM-6696~6702
*Blu-rayとDVDでは内容・価格が異なりますのでご注意ください。
 なお本稿では、あくまで[日本版Blu-ray]のほうを扱っています。

(佐々木秀一/執筆)




速報!「ジャック・タチ コンプリートBOX」をレビューする9

短編集:ジャケット

連載第9回 短編集(DISK 7)

このDISKにはジャック・タチの短編が収められています。
ただし「ジャック・タチの」といっても、タチが監督し最後まで完成させた短編作品は実は1本だけで、他は監督が違う人だったり、事実上編集を放棄した「非公認作」だったりします。しかしタチの長篇をより深く理解するうえでこれらの短編が必見なのは間違いありません。以下、製作順にコメントしていきたいと思います。


1 短編作品を続けて観る

タチが初めて映画に関わったのは『テニスのチャンピオン、オスカール』(1932年/タチは脚本と出演)とされていますが、これは未完に終わっています。さらに、少し時間が飛びますが『地上に帰る』(1938年)という短編でもタチは脚本を担当し出演したそうですが、これも未完。

短編:乱暴者を求む

『乱暴者を求む』(1934年/タチは脚本と出演)

共演はサーカスの道化師ロムで、ロムは当時の映画製作上のパートナー。住居を一時シェアしていたとも伝えられます。映画は特に特徴もなく、いかにも当時の喜劇映画という趣きです。若き日のタチが妙にビートルズのポール・マッカートニーに似ているなあと思いつつ、「天才も初めはこんなもんか」と眺めていればよさそう。

短編:陽気な日曜日

『陽気な日曜日』(1935年/タチは脚本と出演)

共演は同じくサーカスの道化師ロム。タチとロムの凸凹コンビが板についてきています。
タチ作品には動物と子どもたちが必ず出てきて、最終作『パラード』のフィナーレなどは二人の愛らしい男の子と女の子が飾るほどですが、そういう存在が初めて登場するのはこの作品。ボンネットに隠れてモーター音を口でまねする少年や、女だてらに勇壮にラッパを吹く少女など、悪童風な振舞いもタチ映画っぽいですね。ギャグもそれなりの水準に達してきていて意外と面白い作品です。

短編:左側に気をつけろ

『左側に気をつけろ』(1936年/タチは脚本と出演)

監督はルネ・クレマン。クレマンは撮影現場での修行時代がちょうどタチと重なっていて、すでに『乱暴者を求む』のころから、カメラマン助手・助監督としてタチの映画に協力していました。悪童たちや動物の生き生きした描写に加え、この作品でタチは「スポーツの印象」のボクサー篇を断片的ながらも披露しています。

田園風景や郵便配達人など次の作品を予告するようなディテールが随所に出現するのも興味ぶかい。この作品の軽快なテンポはむしろクレマンの手柄だと思えますが、タチの脳裡では本作が成功体験として記憶され、十年後に次作を構想する際ヒントになったのではないか、と想像したくなりました。

短編:郵便配達の学校

『郵便配達の学校』(1946年/タチは監督と脚本と出演)

タチが唯一監督した短編作。全体に『のんき大将 脱線の巻』の習作というか原型といった内容で、『のんき大将』のスラップスティックな側面はほとんど本作から引き継いでいます。このころのタチのパントマイマーとしての身体能力は実に並外れたもので、酒場に入ってダンスを踊るシーンの足さばきなどはそれだけで見ものです。

短編:ぼくの伯父さんの授業

『ぼくの伯父さんの授業』(1967年/タチは脚本と出演)

『プレイタイム』の撮影中断時にそのセットとスタッフ、キャストを流用して撮った短編。監督は同作の助監督であるニコラス・リボフスキーです。この作品には幾つか注目すべき点があります。

①『プレイタイム』外伝としての記録性
②裏から見た喜劇の創作過程
③「スポーツの印象」の映画初登場
④フランソワとユロの共演

道を歩いてきたのは「あの」コートと挙動のユロ氏らしき人物で、かれが入ったビルでは教室のなかで生徒たちが騒いでいる。生徒たちといっても立派な身なりのビジネスマン連中で、ユロ氏らしき人物は教壇にたつと急に威厳ある面持ちに変貌する。

この「先生」が教えるのは階層別タバコの吸い方とか、階段でのけつまずき方など、落語の「あくび指南」を思わせる他愛のない形態模写だが、生徒たちは神妙に講義を拝聴し、先生の指導にしたがってマイムにチャレンジする。授業が終わって建物を出た先生は再びユロ氏の挙動に戻り、ビルの谷間に消えてゆく……

ストーリーを要約すると以上ですが、最後の「ビルの谷間に消えてゆく」シークエンスでは、二つの巨大ビルがガラガラと(滑車で)動いて向こうにバラック小屋が見え、タチはそこに入っていきます。なるほどタチヴィルとはこんな風にできていたのかと一目で分かるのが貴重。

また作中ではユロ氏が先生を演じているようにも、タチがユロ氏の憑依から解かれて平生の姿に戻っているようにも見えますが、どっちにせよ現象観察が喜劇へと昇華される過程が正面から描かれるのは、この作品のほかには『パラード』だけで(団長が裏方たちに各国の警官の真似の仕方を教える爆笑場面)、この披露も貴重。

『左側に気をつけろ』ではボクサー篇の断片のみでしたが、本作では「スポーツの印象」の釣り人篇がフルで演じられています。これは『パラード』に先立っての映画初登場。

さらに本作には郵便配達の教練シーンも登場しますが、これは『郵便配達の学校』の同シーンとは映像が異なっています。「1960年改定により署名は鉛筆ではなくボールペンで云々」という台詞が織りこまれているので撮影は60年以降。1961年にタチは、降板したエディット・ピアフの穴埋めで舞台「オランピア劇場の《のんき大将》」を上演しましたが、本作の教練シーンはこの際の記録映像もしくはその脚本に基づいた再演と思われます。

なお、少なからざるタチのサントラ曲ファンのためにお伝えしておきますと、本作の音楽はレオ・プチとクレジットされるが「本当の作曲家は歌手シルヴィ・ヴァルタンの兄で、かれは『プレイタイム』用に曲をプレゼンしてきたの。採用されなかったけど青年が気に入ったタチは『ぼくの伯父さんの授業』でかれを使った」(タチの秘書の証言)。

シルヴィの兄エディ・ヴァルタンはジャズ・トランペッター出身ですが、この時期より活動の幅を広げ、妹やジョニー・アリディに曲を提供、映画音楽も手がけるようになります。いっぽう名義を貸した形のレオ・プチはジャズ・ギター奏者、スタジオミュージシャンとして高名で、多くの名盤に参加しています。印象的なテーマ曲の柔らかいギターはレオ・プチその人の演奏と思われます。

短編:家族の味見

『家族の味見』(1976年/監督ソフィー・タチシェフ)

タチの実娘ソフィーは1946年生まれ。監督としては本作が処女作となりますが、1998年には『カウンター』という長篇も発表しています。この短編がタチ・アーカイブ(BOX)に収録されているのは、ずばり、この作品のロケ地がサント=セヴェールで、地元民を多数作中に登場させているから。つまり彼女は、デビューにあたり父親の軌跡をそのまま踏襲したのです。

老母と娘が切り盛りする村の《菓子屋》には、昼間っからなぜ大の男ばかりが屯ろしているのか。細やかな描写が徐々に謎を解いてゆきますが、ストーリーとすら言えないそのさりげなさが父親譲りと言えましょう。

『のんき大将』のロケ地が30年後にどう変化しているのか興味深く眺めましたが、土地の風景も人々の感触も、そんなに変わっていないのが嬉しい。

短編:フォルツァ・バスティア

『フォルツァ・バスティア ’78/祝祭の島』(1978-2000年/編集ソフィー・タチシェフ)

タイトルは「がんばれ! バスティア」の意で、コルシカのサッカー・チームSECバスティアは1978年のヨーロッパ杯で決勝に進出、PSVアイントホーフェン(オランダ)と対戦することになります。クラブの会長である旧知のジルベール・トリガノから依頼を受けたタチは、コルシカ島での第一戦の撮影にのぞむのですが……。

忘れられていたフィルムをタチの死後に発見したのはソフィーで、16ミリ・カラーフィルムが3時間分そっくり倉庫に眠っていたそうです。そこでソフィーが、タチならそうしたであろうように編集・音づけしたのが本作。

ストーリーライン上の特徴は、ある事物(決勝試合)の島への到来と退潮。映像の特徴は試合そのものではなくその周辺にスポットを当てている点——試合を待ちわびる島民の期待感、花火、爆竹、飾りつけ、雨のグラウンドの整備、熱烈な応援、翌朝の閑散。

『のんき大将』(原題『祭りの日』)の構造を『パラード』の手法で描くというこの編集方針自体には、もちろんタチは満点をつけるはずです。ただ……

ジャック・タチがこのドキュメンタリーの完成をなにゆえ断念したのかは不明です。このコルシカ対決では引き分けでしたが、次戦で完敗したためバスティアは優勝を逃しました。記録映像の価値はこの段階で半減したので会長も監督も意気阻喪したのでしょうか。

私見では、ソフィーの才能をもってしても、これら映像だけではスポーツ版『パラード』たりえなかった。おそらく、そもそも「何か」が足りていなかったのでしょう。タチの断念の理由はこのあたりにも隠されているものと思われます。

なおこのDISKには特典映像として「グデ先生の授業」が収録されています。2009年にパリのシネマテークで開催された大規模なジャック・タチ展用に製作されたドキュメンタリーですが、「観察」「音」「アメリカ」など5時限にまとめられたステファヌ・グデ氏の授業は平易でなかなかタメになります。「休み時間」にはタチ制作のテレビCMが流れるし、ゲストコメンテーターも充実(ウェス・アンダーソン、デヴィッド・リンチetc)しています。


2 予告

以上で7枚のDISKそれぞれの紹介はひとまず終了です。
最終回は商品としての【ジャック・タチ コンプリートBOX [日本版Blu-ray]】全体を総括するつもりですが、その前に1回だけ《番外編》をはさみ、『イリュージョニスト』とソフィー・タチシェフについて語ってみたいと思います。


コンプリートBOXバラ

☆商品情報
『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [Blu-ray]
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『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [DVD]
 日本コロムビア / COBM-6696~6702
*Blu-rayとDVDでは内容・価格が異なりますのでご注意ください。
 なお本稿では、あくまで[日本版Blu-ray]のほうを扱っています。

(佐々木秀一/執筆)

〈追記〉
2015年2月、「短編集」単品のBlu-rayDVDも発売されました。






Appendix

プロフィール

タチヨン

Author:タチヨン
日本ではたぶん唯一のファンサイト「ジャック・タチの世界」を運営しています。フィルモグラフィetc.は、そちらをご覧ください。
タチの人生を詳細に描き出した評伝「TATI―“ぼくの伯父さん”ジャック・タチの真実」もヨロシクお願いします。タチ関連の情報があれば、ゼヒお知らせくださいませ。

連絡先:tati@officesasaki.net

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